「流れのほとり」②(By a Stream of Water)
「ジョウスイ(上水)」って、サウンドがいいでしょ?
玉川上水から来ているのです。この名前、クリスチャン的にもいいのです。
上水とは上の水、上からの水。
「上」ということば、新約聖書のヨハネの福音書3章3節に、
とあります。
「上から」と訳されている原語‘アノーセン’は、「あの~、と言って何もしない」という意味ではありません。「上から」とも「新しく」とも「再び」とも訳すことが出来ることばです。
「上から」と訳すと、この「上」は神と言う意味が強調されています。ですから、イエスは「人は神によって生まれなければ、神の国を見ることができません。」と言われたことになります。
「新しく」と訳すと、今生きている人生が古い誕生で、「人は今迄生きて来た古い人生ではなく、新しく生まれなければ神の国を見ることができません。」と言うことになります。
「再び」と訳すと、回数が強調されていて、「母から生まれて生きて来ているが、「再び」、もう1回生まれなければ神の国を見ることはできません」、と理解できます。
「神の国を見る」とは、クリスチャンになる、ということだと理解してください。
つまりイエスは、ここで私たち人間は、「上から」の神の力によって、今迄の生き方ではなく、全く新しく、再び二度目の誕生をしなければクリスチャンになることはできない、と言われたのです。ここからクリスチャンになることを新生とか、ボーン・アゲイン(born again)、と言ったりします。
このように教えられてから、イエスは、このことばの意味を別の角度から説明して言われました。
初めに、「上から生まれなければ神の国を見ることができません。」と言われ、今度は「水と霊によって生まれなければ神の国に入ることができません。」と言われました。
この二つのセンテンスを重ねて比べて見ると、
上から 生まれなければ神の国を見ることができません。
水と霊によって生まれなければ神の国に入ることができません。
- 「上から」と言うことと「水と霊によって」ということが同じ意味を持っているようだ、と推察できます。
- 「神の国を見る」と「神の国に入る」と言うのも、どうも同じような意味で使われていることが推察できます。
イエスはこのことばをユダヤ人のニコデモと言う人に語りました。ニコデモは頭の良い、リーダーシップのある人で、今流に言うと国会議員のような政治的なリーダーでもあった人です。その上、彼は聖書をよく知っているユダヤ教の教師でもありました。このような人にイエスは「人は新しく生まれなければ、クリスチャンにはなれない。」と言われたのです。
イエスは、ニコデモの宗教的知識、社会的貢献を知っていましたが、これらの知識や働きによっては「神の国」を見ることも、入ることもできない、とショッキングなことを言われたのです。神の国を見、入る(本物のクリスチャンなる)には、「上から」の力によって新しく生まれ、神の霊と力によって生まれなければならない、と教えたのです。
キリスト教の知識、儀式、経験によってクリスチャンになるのではなく、「上から」の力によって「新しく」生まれることによって私たちはクリスチャになるのです。