流れのほとり NO.34
新年明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしく。
<主暦2022年>
2022年になりました。世界ではAD2022と表記します。ADはラテン語のAnno Domini(アンノ・ドミニ)の略です。Anno は、「あの~」と言うことではなく、年と言う意味で、Domini は、「どう~?ミニ?」とサイズを尋ねているのではなく、主なる神と言う意味ですから、直訳すると「主の年」と言うことになります。普通は西暦と訳されていますが、私は主暦と書いて使っています。紀元前はBCと表記しています。これはBefore Christ(ビフォー・クライスト)、キリスト前、つまりキリストが生まれる前の時代を指しています。人間の歴史を考える時、私たちはキリストを中心に分割して考えることを教えています。
<静かな上水の流れ>
新しい年、玉川上水はいつもと変わりなく静かに流れています。今冬は年末から気温が下がり寒かったからでしょう、人気が少なく、枯葉の音が大きく聞こえました。毎年のことですが、落葉すると、流れのほとりの遊歩道は急に明るくなり、晴天が続きましたので、陽光が射し、昔の縁側での日向ぼっこを思い出させるほど暖かく心地よいものです。葉の無くなったケヤキの木の枝は晴天の青と白い雲を縁取り、まるでステンドグラスのようです。
<新しいことば>
新年と言っても時間がたっただけで、科学的には何も変わっていないですが、心、気持ちは変わり、新しくなります。皆さんはどうでしょうか?私は毎年、聖書のことばの中から目標にすることばを選んで「新年の聖句」としています。今年は新約聖書のコロサイ人への手紙1章11節のことば
「喜びをもって」を括弧に入れていますのは、聖書にはこのことばが入っていません。しかし、原文を見ると、「喜びをもって」をここに挿入して訳すのが、私には自然に思えますのでそうしました。
新しい年、ただ忍耐して物事を対処していくのではなく、喜びをもって行いたいと思っています。同じように、様々な物事、人間関係においてもただ寛容な態度、行為をするのではなく、もう少し積極的に喜びをもってクリスチャンとしての寛容さを表して行きたいと思っています。弱さの多い、また、クリスチャンなのに罪をおかしやすい、自己中心の思いに誘われやすい私ですが、神様の力によって強くされて、全世界を、私の関わる世の中を支配し、導いておられる神様の素晴らしい栄光の輝きが表されるような生き方をして行きたいと思っています。
<新しい年、新しいこと>
新しい年、神様は必ず新しいことを行ってくださいます。私たちはその「新しいこと」が何であるか目を凝らして見、耳を澄ませて聞き、体験を通して知り、喜び、感謝して行きたいと思っています。
昔、バビロンに捕虜として連れて行かれた、故国を失い絶望の中にいた人々に神様は預言者イザヤを通して預言されました。
その新しいことは、人々を思わぬ方法で解放し、故国に戻すことでした。
そして、今も、神様は私たちに同じように「見よ、わたしは新しいことをする。」と語りかけてくださっています。コロナ禍による困難から解放して下さる「新しいこと」は何なのでしょうか?
「神の栄光の支配」があなたに及ぶ新しい主暦2022年でありますように祈ります。