日本福音キリスト教会連合

書籍ご案内

人間らしく生きる 著者 牧野 直之師 定価(本体 400円+税)

【前書きより】

これは私が諸教会で話した伝道説教の原稿を、話し言葉をそのまま残してまとめたものです。
私がフリーランスの説教者として働いていた時、諸教会の特別集会の講師としてよく招かれました。
それらの集会及び礼拝では伝道説教をするように依頼されました。そこで福昔 (イエス・キリストが提供するグッド・ニュース)を聖書のことばを解き明かす形で私なりに分かり易く話すよう努めました。
日本人は世界で一番クリスチヤンの少ない民族の一つです。どうしてクリスチヤンになる日本人が少ないのでしょうか?

私は一つの原因は、福音フクインを知らない、理解していない、ということにあるのではないか、と思っています。多くの日本人はキリスト教の知識を持っています。また、キリスト教に好意を持っている人も多いようです。これらの人々はキリスト教的ヒューマニズムに基づく文化、思想、活動を知り、好意を抱いている人々のようです。しかし、残念ながら福音を知らないのです。さらに、クリスチヤンと言っている人々の中にも、自分の理解するキリスト教という宗教を信じているだけで、聖書が伝える福昔を信じ、「新しいいのち」に生きていない人々が多いようです。

「新しいいのち」がありませんから、福晢は他の人に伝わらないで、「新しいいのち」に生きるクリスチヤンが増えないのでは?と案じます。この小冊子が福晢を知り、理解する助けになれば幸いです。

パッション・フォーミッション 著者 牧野 直之師 定価(本体 400円+税)

元北栄キリスト教会牧師・北海道聖書学院院長
松元 潤師の【推薦のことば】より

パッション・フオー・ミッションというタイトルの通り、私にとって牧野師はどんな時にも宣教の情 熱を失わない人である。主の大宣教命令を語るだけ なら誰でもできる。しかし、その人がそれを生きて いないならそれは真の情熱ではない。その人の語る 告白がいかに本物であるかは、炎の中で精錬される 火の中から輝き出る金よりも尊い試練の中で証明さ れる(Iペテロ1:7)。牧野師の宣教に対する情熱は、 試練の中でも失われることがない。順境も逆境も牧 野師にとっては福音を証しし、宣教する機会だった。
それは本書の最終章 「生きることはキリスト、死ぬ ことも益」に記されている牧野師自身の「この本の サブタイトルを『感謝と喜びと充実の人生への招き』とした。しかし、これは宣教師の人生はいつも順風 満帆だということではない」という告白に現わされ ている。 牧野師は本書にある通り、大学時代と伝道者とし ての最初の訓練のときを北海道札幌において過ご した。その札幌にある私が現在牧会するJEcA北栄 キリスト教会が牧野師の母教会である。
牧野師の行くところ、笑いは絶えない。多くの人たちは牧野 牧師の生み出す明るい空気を単純に享愛しているかも しれない。私も正直、初めて牧野師のメッセージを 聞いたときは、笑いっぱなしで何を聞いたか内容を 忘れてしまうほどだった。しかし、ある時から、牧野師の笑いの中に信仰に裏打ちされた人生哲学を感 じるようになった。

自分自身を笑うことは、自分を 正当化する人間にはできないことである。牧野師の ジョークの中に、謙遜やゆとりによって生じる他者 への思い遣りや自身の自己吟味を感じるようになっ たのだ。それが第2章英語とジョークの中に「笑い は、しばしば自分に見えない自分の姿を、外から客 観的に見ることができるように新しい視点を与えてくれる」と含蓄ある言葉で記されている。ここに、逆境においても主に従う秘訣が隠されているのでは ないだろうか。
本書は、各章末に読者に ともに考える機会を与えてくれ、神学校における海 外研修の備えのためのテキストとして使用すること もできる。読みながら、考えさせてくれることは、宣教師となって海外へ出て行くことだけではない。主に置かれている地でどのように仕えるか、という キリスト者としての生き方の本質を問うことでもあ る。異文化を学ぶことは、私たち自身の視野を広げ る。それは、多様な人たちに福音を伝えるべき私たちの宣教力の養いともなるのではないだろうか。「私はだれに対しても自由ですが……すべてのことを、 福者のためにしています (Ⅰコリント9:19-23)」と いうパウロの告白が、牧野師の宣教の足跡とも重なる。

 

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