「流れのほとり」①(By a Stream of Water)
上水めぐみキリスト教会のミニスターの牧野直之です。どうぞよろしく。
ミニスターと言っても私がスターである、それもミニなスターであると言うことではありません。英語でミニスター(minister)とは、牧師のことです。元々の意味は、召使いとか奉仕をする者、人に仕える人と言うことです。ミニスターは人々に仕え、又、神様に仕える人のことです。因みに、首相のことは英語でプライムミニスター。最高位の(国民に)仕える人と言う意味ですから、現代の政治家を見ていると、そうかなあ~、と考えさせられます。
「上水」は「じょうすい」と読みます。「うわみず」とか「うえみず」ではありません。
上水めぐみキリスト教会は五日市街道と立川通りの十字路(砂川九番と呼びます)にあります。
立川通りを北に少し進むと、玉川上水が流れています。「上水」という名前は教会の近くを流れる玉川上水(たまがわじょうすい)から来ています。
玉川上水は江戸時代に多摩川の水を現在の羽村市辺り(羽村堰)から新宿御苑の大木戸門の辺りまで引いて、江戸の飲料水としたのだそうです。この工事をした人が、玉川さんという兄弟であったので、玉川上水。多摩川の水を玉川さんたちが引いたなんて、ちょっとシャレていますね。
玉川上水の「流れのほとり」には、大きい木々や草花が繁り、小鳥が鳴き、鯉も泳いでいます。流れに沿った遊歩道、グリーン・ロードを散策すると、まるで林の中を歩いている気分で、軽井沢の小径に来たみたいです。
聖書(バイブル)の中に詩篇と言う詩集があります。その第1篇、初めの詩に
「幸いなことよ、
主のおきてを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすところはすべて栄える。」
とあります。
人の幸福の決め手になるのは、「主のおしえ」即ち聖書だ、と歌っています。「主のおしえ」である聖書を読み、そのおしえを喜んで受け入れて生きると、人は幸福になるのです。ですから「昼も夜も 主のおしえを口ずさみ、その教えに従っている人」になります。いつも聖書のことばを考え、心で思い巡らしている人、そのおしえに従って生きる人は幸福な人だ、と言うのです。
それは例えてみれば、「『流れのほとり』に植えられた木」のような人生です。このような木は、根を張り、延ばし、流れから水を吸い取ります。どんなに暑い日照りの日であっても、雪で真白になる寒い日も、木々はいつも瑞々しく、生き生きとしている玉川上水の木々のようです。
私たちにとっては、この流れからの水とは、聖書のことばを信じ、従って神様から受ける「新しいいのち」です。「流れのほとり」に植えられた木のような人生を歩む人は、流れからの新しいいのちに生きていますから、「葉は枯れず」緑でフレシュな人生、秋になれば豊かな実を結ぶ人生、「そのなすところはすべて栄える」人生になるのです。