日本福音キリスト教会連合

「クリスチャンは心配しません!」マタイ6:25~34

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

クリスチャンは心配しません」マタイ6:25~34

クリスチャンなって素晴らしいことの一つは、心配しない者に変えられたことです。イエス様はそのことを25節に「(あなたがたは)何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配するのを止めなさい。」と命令されました。私たちがイエス様を信じる前は、32節にありますように、私たちは異邦人(未信者)でしたから、自分のいのちことや自分のからだのこと、衣食のことで心配していました。しかし、イエス様は、クリスチャンになったらば、心配するのを止めなさい、と教えられました。

1.今迄イエス様はどういうことを教えて来られたでしょうか?

イエス様はこのことを教える前に、25節に「ですから」と言われました。「ですから」とは、今迄教えて来られたことのまとめ、結論から言います、ということです。それでは今迄イエス様はどういうことを教えて来られたでしょうか?クリスチャンは「天に宝を蓄えなさい。」と命令されています。また、キリストの光を心の中に入れて、心を明るくしなさい、と命じられています。そして、私たちは「富」と「神様」の両方を主人として仕えることはできません。ただ一人の主人「神様」に仕えるしもべとして生きなさい、と命令されています。天に宝を蓄え、キリストの光で心を明るくし、ただ神様を主人として従う、しもべとして生きていくのですから、私たちには心配することは無くなります、と言うことです。因みに、ここで「心配する」と使われている言葉は、ピリピ4:6でパウロが「何も思い煩わないで」という時に使われている言葉ですし、イエス様が種蒔きの譬えで三番目の種が落ちた地で、種が実を結ばない原因として「生活における思い煩い」として使った言葉と同じ言葉です。

2.どうして心配しなくて生きて行けるのでしょうか?

イエス様を神様と信じることは、神様が自分を含めて天地万物の創造者であると信じることです。それだけではありません。私たちは、神様はすべての創造されたものを、み心に従って維持されている神様だと信じています。ですから、私たちが何を食べるか、何を着るか心配しなくても良いのです。27節に書いてありますように、私たちが「心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができないからです。私たちのいのちを創造し、維持しておられるのは神様なのです。

イエス様はこのことをもっと分かり易く説明してくださいました。26節を見てください。「空の鳥を見なさい。」と命令されました。28節では「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。」とも命令されました。

空の鳥を見る、良く観察して知ることと野の花を見てその成長を観察し、良く考えることが大切なことです。多くの人は鳥を見ていないのです。また、野の花がどのように育つか良く考えないのです。ですから心配するのです。

イエス様はここで、26節にありますように、神様が鳥たちをどのように養っているかをよく見るならば、神様のかたちとして創造され、鳥よりもずっと価値のある、私たち人間をどうして養わないことが考えられるでしょうか。そんなことはあり得ないのです。ですから心配しないのです。また、野の花がどうして育つかよく考えると、神様が神のかたちとして創造してくださった私たち、特に神様を信じて従っている私たちのことを「もっと良くしてくださらない」(30)ことがあり得るでしょうか?そんなことは絶対にありえないことが分かります。

3.落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

ここで誤解しないで頂きたいのですが、イエス様は、私たちがクリスチャンになったら、もう働らなくて良い、と言われているのではありません。

神様は空の鳥を創造され、鳥一羽一羽に食べ物(虫や木の実など)を神様の指で与えられるわけではありません。鳥は神様の造られた自然の中を飛び回り自分の食べ物を捜し、食べるのです。同じように、私たちも神様が与えてくださった様々な能力を使って仕事をし、食べ物を得るのです。パウロはクリスチャンは

「落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」(Ⅰテサロニケ3:12)
と教えている通りです。

第2に、クリスチャンは食べ物や衣服に困っている貧しい人々を見ても、心配せず、神様が助けてくれるから、と言って放っておいて良いと言うことでもありません。むしろ逆で、私たちは旧約聖書でも新約聖書でも繰り返して教えられていますように、貧しい人々、やもめや障碍者たちの必要に目を留め、積極的に助けて行くようにします。

第3に、イエス様は、クリスチャンになったら、困難に直面しない、経済的に困らない、と教えているのでもありません。心配から解放されていると言うことと困難や問題から解放されていると言うのは別のことです。パウロは第2コリント1:8~10に

「私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくはありません。私たちは、非常に激しい、耐えられない程の圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼るものとなるためだったのです。神はそれほど大きな危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」
と書いています。

また、第2コリント4:8~10には

「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。
とも書いています。

パウロはここで私たちクリスチャンは困難に遭いますが、それは私たちが死者をよみがえらせてくださる神に頼るものとなるためであり、私たちを困難から救い出してくださいます。将来も救い出してくださると言う希望を持つためです。また私たちの中にイエスのいのちが現れるためなのです、と教えています。

6:31を見てください。「ですから」とあります。イエス様はこれまで教えて来られたことをまとめて、このように偉大な創造者ですべての被造物を維持しておられる神様を私たちは信じているの「ですから」、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか、と言って」クリスチャンは「心配しなくてよいのです。」(31)

イエス様は、私たちが心配しなくてよいもう一つ理由を教えてくださいました。それは32節に書いてありますように、「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられ」るからです。このことは6:8でイエス様がお祈りについて教えられた時にも言われました。「あなたがたが求める前から、あなたがたに必要な物を知っておられるのです。」神様は私たちが祈り求める時に、私たちの必要なものをすでにご存知で、み心に従って、み心の時にそれを与えてくださるのです。ですから心配しなくてよいのです。

4.それでは、私たちクリスチャンたちは、何を捜し求めるのでしょうか?

33節を見てください。

まず神の国と神の義を求めなさい。

大切な言葉は、「まず」と言う言葉です。何よりも先に、先ず、一番に、ということです。他のものや、ことをさし置いて、一番に私たちクリスチャンが捜し求めることは、「神の国」です。私たちは「主の祈り」で「(あなたの)御国が来ますように。」と祈るように学びました。神の国とは神様を王とする国のことです。そこでは神様が王様として支配しているのです。

ここでヨハネ3章を開いてください。1節からお読みします。

「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。この人が、夜、イエスの下に来て言った。『先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。』イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人はだれも新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。」・・・5「イエスは答えられた。「まことに、まことにあなたに言います。人は水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

イエス様はここではっきりと言われました。人間だれでも「新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」し、「水と霊によって生まれなければ」神の国に入ることができません」、と。

マタイ6:33でイエス様は、先ず、一番に神の国を求めなさい、と言われました。どうしたら神の国を見ることが出来るのでしょうか?どうしたら神の国に入ることができるのでしょうか?

それはイエス様を自分の救い主として、主人である神様として信じることです。私たちがイエス様を信じた時に神様の霊によって私たちは新しく生まれるのです。つまり、神の国に入ることが出来るのです。この神の国に入ることを第一番に求めなさい、とイエス様は言われるのです。

それでは人々が神の国を見つける為には私たちはどうしたらよいでしょうか?それはすでに神の国に入っている人が神の国への入り方を教えてあげることです。つまりイエス様の救い、福音を伝えてあげることです。

パウロは「『主の御名を呼び求める者はみな救われる』のです。しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いた事のない方をどのように信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。』(ローマ10:13~14)と言っています。

そうです。イエス様が「まず、神の国を求めなさい。」と命令している意味は、私たちクリスチャンが、まだイエス様を信じていない人たちの救いのために祈り、福音を伝えなさい、と命令しているのです。もし、上水めぐみ教会に現在出席している人の家族からイエス様を信じる人が起こされたら、教会出席者は増えます。もし、家族だけではなく、友人、知人の中からイエス様を信じる人が起こされたら、もっと増えます。

神様はすべての人が救われることを願っておられます。また、神様に不可能なことはありません。神様に「信仰の薄い人たちよ」と言われないように、信仰を持って祈り、伝道しましょう。

次に、「神の義を求めなさい。」と、イエス様は言われました。イエス様は5章で「義に飢え渇く者は幸いです。」(5:6)と教えられ、また、「義のために迫害されている者は幸いです。」(5:10)とも教えられました。これらの箇所で言われている「義」とは聖である神様の正しさ、公平さのことです。つまり私たちは、教会の中でも、社会の中でも、どこでも、神様の義、神様の前に正しく、きよく、公平なことを求めていくことが求められているのです。今、アメリカから始まり、世界中で人種差別反対の声が上がっています。日本でもヘイトスピーチ、朝鮮人や中国人を差別したりする人がいます。クリスチャンはこのような「不義」に対して反対し、神様が喜ばれる義を求めて生きていきます。

最後に34節を見てください。私たちは過去のことや今日のことを心配するのではなく、未来のことを心配します。しかし、私たちは神様が与えてくださった今日のことを精一杯行います。「主の祈り」で「日ごとの糧を今日もお与えください。」と祈るように、私たちは神様が今日と言う日に活かしてくださり、いのちを与えてくださっていることを感謝して、神様に喜ばれるように歩んで行くのです。毎朝、目が覚めたら、「イエス様、感謝します。」と言って一日をはじめてください。今日と言う日に神様が私たちを通してなさってくださることを期待して、与えられた仕事をして行ってください。自分のいのちや自分のからだのことで心配するのを止めて、「まず、神の国と神の義を求め続けていきましょう。」お祈りしましょう。

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