キリストの証人となる
使徒の働き1:6~12
イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、
こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。
イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。
そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、
そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。
1.イエス様の願い
よみがえられたイエス様は弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(4)と言われました。また、「弟子たちは、間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられる。」(5)とも言われました。弟子たちはこのように言われましたが、その約束がどういうことなのか良く分からなかったようです。ですから弟子たちはイエス様に質問をしました。
「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時ですか。」(6)
弟子たちは、「父の約束」と「聖霊によるバプテスマを授けられること」を誤解してこんな質問をしたようです。この質問から分かる弟子たちの考えは、
- イエス様が「イスラエルの国を再興してくださる」人だと思っていた、ということ。
- イエス様が十字架に架かって死に、三日目によみがえられた時がそのイスラエルの国の再興が始まる時ではないか、と思っていた。
その当時、イスラエルはローマ帝国の属国でした。イスラエルと言う国は何百年も前に滅ぼされてしまっていました。そこでユダヤ人たちは、かつてのダビデ王様のような人が現れてユダヤ人を救い、イスラエルと言う国を再興してくれる、と言う希望を持っていました。よみがえられたイエス様と交わり、主のことばを聞いて、弟子たちはそのイスラエル国の再興の時がやってきた、と考えたのです。
それに対して、イエス様は7節にあるように答えられました。その答えは、
- いつ(そのことが起こるのか、2050年なのか、それとも2035年なのか)というようなことは、弟子たち(人間)の知るところではありません。つまり、私たちはだれもそれがいつ起こるかは知りませんし、知ることが出来ません。
- また、どんな時に(午前中なのか、それとも夜遅くなのか)そのことが起こるかということもだれも知るところではありません。つまり時、時間についても私たちは知りませんし、知ることは
できません。
- そのような、いつ起こるのかとか、どんな時に起こるのかということは、父なる神様の権威の下に父なる神様が決められていることです。
ここでイエス様が弟子たちに言われた大切なことは、
①私たちはそのような私たちが知ることができないことに時間とエネルギーを費やすことをしないように、
ということです。なぜなら弟子たちだけではなく、現在でも、この時にイスラエルと言う国が再興される、というような予言をする人たちが大勢いるからです。
次に、イエス様が教えられたことは、
②私たちクリスチャン(弟子たち)は、偏狭な愛国主義者になってはいけない、
ということです。弟子たちはローマ帝国から解放されてイスラエルと言う国が再興されることを考え、望んでいました。彼らの考えはイスラエル中心だったのです。しかし、イエス様はそうではなく、全世界の人々に心を向けて行くことだったのです。ですから8節に書いてありますように、続けて言われました。
ここではっきりといわれていますように、弟子たちが関心を持って行くべきことは、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、更に地の果てまで」と言われている全世界なのです。自分の国、イスラエルのことだけにとどまらず、地の果てまでです。イエス様は、弟子たちに偏狭な愛国主義の考えを捨てて、新しい世界大のヴィジョンに生きることを教えられたのです。
2.どうしたらそのような人になれるのでしょうか?
それは「聖霊があなたがたの上に臨むとき」に起こります。
聖霊が弟子たちの上に、私たちの上に臨むと、私たちは力を受けます。その力とはどういう力でしょうか?
重い荷物を持ちあげる力、肉体的な筋力、パワーではありません。高齢になって歩くのもふらふらしてきたのに、聖霊によって急にさっさと歩けるようになると言うことではありません。その力は私たちをイエス・キリストの証人とする力です。証人とは、人の前で自分が見たこと、聞いたこと、そして経験したことを「これは真実です」と証言することです。「キリストの証人になる」ということは、イエス・キリストがどういうお方か、どういうことをされたか、私はイエス・キリストを救い主として、また、主なる神として信じてどういうことを経験したか、ということを他の人々の前で言うことです。
これは自分の力だけではできません。聖霊がくださる力を受けると、キリストについて証言ができるようになるのです。この力を受けなくても、イエス・キリストのことを説明することや、キリスト教のことを話すことはできます。教会のことやクリスチャンたちのことも話すことはできます。
しかし、私たちは聖霊からの力を受けなければ、キリストの証人にはなれません。私は60年以上のクリスチャン生活の中でいろいろな人と出会いました。そして多くの人が自分はクリスチャンだと言っているのですが、聖霊の力を受けていない人がいることを知りました。彼らはキリスト教の知識があり、聖書の知識もあります。様々な教会のことも知っています。しかし、聖霊の力を受けていませんからイエス・キリストの証人になれないのです。私たちも聖霊の力を受けて、その力によってキリストの証人になりましょう。
3.どこでキリストのことを証言するのでしょうか?
それは私たちのエルサレムで、ユダヤとサマリアで、そして地の果てで、です。弟子たちはこの時点でエルサレムにいました。
私たちのエルサレムとは、私たちが今いる所、そうです、私たちのそれぞれの家庭です。私たちの家族でまだクリスチャンではない人にイエス・キリストの証しをしましょう。私たちの家族の救いのために祈りましょう。私たちのユダヤとサマリアはどこでしょうか?自分の住んでいる立川市の人々、立川市の周辺の都市の人々かもしれません。また、この教会の近隣に住んでいる人々でしょう。私たちの地の果てはどこでしょうか?私たちの視野を「日本のこと、日本人のことだけではなく、全世界のことを見る広い視野に立ったクリスチャンになりましょう。
4.まとめ
さて、イエス様は、「こう言ってから」(9)弟子たちが見ている間に天に昇って行かれました。ルカはこのことを福音書では次のように書いてテオピロ様に説明しました。ルカの福音書24章50~53節を見てください。
イエス様は弟子たちにこのように教えてから、エルサレム郊外のベタニアの近く、使徒の働き1:12にあるように、安息日に歩くことが許されている距離の範囲、約1キロ以内にあるオリーブ山に弟子たちを連れて行かれました。そのオリーブ山でイエス様は手を挙げて弟子たちに祝福のお祈りをしながら天に挙げられて行きました。イエス様のからだが挙げられて行くと、雲が湧いて来て、イエス様を包み、だんだん弟子たちの目には見えなくなって行きました。弟子たちは皆その天を見上げていました。すると二人の白い衣を着た天使が現れたのです。二人の天使と言うと、ピンと来る人がいるかもしれません。イエス様がよみがえられた時のことです。ルカ24:1~6を読んでみましょう。
また、22:43を見てください。
このように、白い衣を着た人間のかたちの天使たちはイエス様の働きをサポートする方です。彼らは弟子たちに何と言ったでしょうか?11節を見てください。
天使たちは弟子たちに教えました。
- イエス様は天に上がった。もう私たちの肉眼では見えない存在になられた。
- しかし、イエス様は再び私たちの所に地上に戻って来られます。
- イエス様はあなたがたが見たのと同じ有様で、即ち、弟子たちが見ることができたように栄光のからだをもって来られます。
- いつまでも天を見上げていてはいけません。再びイエス様が来られるまで、弟子たちに委ねられた使命に生きなさい、と言ったのです。
この個所には「天を見上げる」と言うことばが4回も繰り返されて言われています。「どうして天を見上げて立っているのですか」とは、弟子たち、クリスチャンたちが「あ~あ、イエス様は天に行かれて見えなくなってしまった。」と茫然としているのではなく、この地上で、日常生活でイエス様から委ねられた使命に生きるように言っているのです。
その使命とは、キリストの証人となることです。私たちが聖霊の力によってキリストの忠実な証人となれるように祈りましょう。家族の救いのために祈り、証しすることができるように祈りましょう。友人知人の救いのために祈り、証しすることができるように祈りましょう。そして自分は海外まで出ていけなくても海外まで出て行っている宣教師たちのために祈って行きましょう。