流れのほとり NO.22
早いもので6月に入りました。月初めにカレンダーをめくります。
新しい写真がパッと目に入り、新鮮な気持ちになります。6月の上水めぐみキリスト教会の名前が入ったカレンダー*の写真は利尻ツツジの赤と白の背後に残雪を残す利尻富士が聳えています。旅心が誘われます。
そのままず~っと目を下げ南を見ると、九州の南端の海上に屋久島と種子島があります。これらの南北二つの島は対で、形が似ているだけではなく、不思議に一方が高い山の島でもう一方は平地なのです。
屋久島の宮之浦岳は九州一の高い山、利尻富士も1700メートル以上の高い山で登るのが難しく険しい岩山です。
<自分のいのちのことで心配するな>
これはイエス・キリストの有名な説教「山の上の説教」からの引用です。この説教の中でイエスは次のように教えました。
「何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのをやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が発出されました。そのために多くの方が入院治療を受け、仕事を失ったり、収入が激減したりして困っています。そんな情況で、「自分のいのちのことで心配するな」と言われても受け入れがたい思いがします。しかし、とにかく忙しい毎日を突っ走ってきた私たちが、ちょっと立ち止まり「自分のいのち」について考える、というのは良いことではないでしょうか?
<人のいのちは価値がある>
イエスは人間のいのちは非常に価値のあるものだと教えます。神が創造された自然の中で養われ、生きている空の鳥よりもず~っと価値がある。人間が叡智を極めて造り出す「美」以上の美しさを神が創造された野の花は持っている。神は人間をその「野の花」以上に良くしてくださるお方である、と教えました。
なぜイエスは「自分のいのちのことで心配するな」と言うのでしょうか?
神は鳥や花々より価値のあるものとして「神のかたち」として人間を創造されたからです。ですから神は人間のすべての必要を御存じなのです。
<まず、第一に>
それではどうしたらよいのでしょうか?イエスは言われます。
まず第一に私たち人間がすることは、
神の国を求めることです。
神の国とは神が王として治めている国、ということです。つまり神が王として治めている国の国民に私たちがなることを求めることです。それは私たちの生活のすべてを王である神のご支配の下に置くということです。それはイエス・キリストを自分の罪からの救い主として信じることから始まります。
神の義を第一に求めるとはどういうことでしょうか?
神の義とは神の前に正しいこと、神の秤で計って公平で正義であることです。私たち人間が行う裁判には間違いがあり、偏りがあります。昔は許されていたことが今は許されない、ということがたくさんあります。為政者が変わると、法律が変わり、見解が変わるということはよくあります。しかし、神の尺度は永遠に変わりません。絶対です。その神が正義だと言われることをまず求めて生きていくことです。
創造者で絶対者で全く聖い神を信じ、神の国と神の義をまず求めて行きましょう。そうすれば神は私たちのすべての必要を満たしてくださいます。
* 上水めぐみキリスト教会のカレンダーは毎年お世話になった方々や希望者に差し上げています。ご希望の方は11月ごろにご連絡ください。