流れのほとりno12
新年あけましておめでとうございます。
皆さんはお正月をどのようにお過ごしでしょうか?今年は昨年来の新型コロナウィルスの感染拡大のために自宅に留まり過ごされた方が多いことでしょう。
このコロナウィルスのために私たちの生活様式が随分変わりました。
「ステイホーム」「不要不急の外出を避ける」「マスクの着用」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」と今迄行ってなかったことを行う日常になりました。
キリスト教会でも大きな変化が起きて来ています。教会堂に集まって礼拝式を行ったり、祈り会をするのを止めて、コンピューターを使って各自をつなぎ、礼拝をし、集会をしたりしている教会が増えました。上水めぐみキリスト教会はこの1月から、コロナ感染拡大に鑑み、ラインを使って礼拝をすることにしてみました。ラインですから、礼拝が終わると、ラインでつながっている人々が互いの顔を見ながら話し交わることができます。まだ試行錯誤の段階です。
このコロナはいつ収束するのでしょうか?一早い収束を願って祈っています。と同時に、歴史を支配し、導いておられる神様はこのウィルスによる病気の世界大の拡大を通して、私たちに何を教えておられるのだろうか、と考えさせられます。
聖書を読むと、疫病のことが繰り返し出て来ます。旧約聖書の出エジプト記ではモーセとアロンはエジプトの王様ファラオにイスラエルの民をエジプトから脱出させるように繰り返し要求します。しかし、ファラオはその要求を拒絶します。その時、神様はモーセを通して疫病をもってそのファラオの態度の誤りを指摘します。その他の箇所では、イスラエルの民が神様に従わず、自分の欲望に従って行った時に神様は疫病を使って、イスラエルの民の罪を指摘し、悔い改めに導かれました。そのことが旧約聖書の詩篇78篇にまとめられていますので、機会がありましたら読んでみてください。
私は、現在のコロナの世界中での拡大、何千万と言う人々が罹り、苦しみ、又、死亡しているのは、神様の私たち人間への警告ではないかと思っています。
日本人の多くは絶対神、唯一神の存在を信じません。ですから「神」と言うことばを非常に安易に、また、軽々しく使い、考えているようです。絶対神を信じませんから、「絶対」という基準もありません。自分の都合で神々を考え出し、自分にご利益を与えてくれるものなら何でも神にしてしまうのではないでしょうか。
人間は優れた能力をもっていて科学技術の発展は目覚ましいものがあります。この数十年はコンピューターが私たちの生活を大きく変え、昔はできなかったことを、ドラエモンの世界を現実にしてきているようです。最先端の科学の領域だけでなくても、日常生活でもとても便利なものが出来て来て役立っています。素晴らしいことです。しかし、この素晴らしい発展のために、私たち人間はおごり高ぶってきているのではないでしょうか。自分で何でもすることができる、と考えたり、自分の願いをかなえてくれるような神々を考えだし、作りだし、自分中心になって生きているのではないでしょうか。そのような私たちに対して神様が警告を与えているのではないか、と私は考えて聖書をひも解いています。
伝道者は言います。
「悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。悪しき者には幸せがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らが神の御前で恐れないからだ。」(伝道者の書8:12~13)
「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ、悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。」(伝道者の書12:13~14)