イエスはキリスト、救い主である
使徒の働き5章27~42節
しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、
これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、
あなたはこれはどう考えても神様の働きだ、神様がなさったことだ、と思わされる不思議な経験をしたことがありますか?使徒たちは祭司長やサドカイ人によって逮捕され、牢に入れられましたが、夜、主の使いが牢の戸を開け、解放されました。そして夜明けごろから人びとにイエス・キリストについて教え始めました。
私ももう50年も前のことですが、トルコのエペソで、新約聖書に出てくるエペソとほぼ同じところで、私とアメリカ人の青年と二人は、キリスト教活動をしたとの理由で朝2時ごろ警察に捕まったことがあります。ところが警察の留置場で待っている時に、何かが起こりました。大声で二人の警察官が話している声は聞こえましたが、トルコ語が分かりませんから今でも何が起こったのかは分かりません。私はこの時に「主の使い」が働かれた、と信じています。私たちを逮捕した警察官は4時ごろに警察署から普通の民家に連れて行きました。私たち二人が寝ている横に出口に近いところにその警察官が寝ていました。翌朝わかったことはこの家は彼の自宅でした。彼はおいしい朝食を御馳走してくれた後、私たちを釈放してくれました。彼は私たちを国道まで連れて行き、走ってくる長距離バスを止めて、乗れ、と言うのです。えっ、いいの?とキツネにつままれたような感じで解放されました。
1.人に従うより、神に従うべきです。
使徒たちが宮で教えていると、大祭司の使いが来て再び大祭司たちの前に連れて行かれ尋問されました。
それに対して、使徒たちはきっぱりと、「人に従うより、神に従うべきです。」と答えました。4章でペテロとヨハネはイエスの名によって足の不自由な人の足を癒した時にも「民の指導者たち、長老たち、律法学者たちの真ん中に立た」された時にも同じように
クリスチャンは善良な市民として国や市の法律に従って生活します。クリスチャンが脱税をしたり、法律を破って社会的な不正をしてはいけません。クリスチャンたちは私たちの国や市を治めている為政者たちの上に神様がおられることを信じています。神様は国々の王様や大統領や首相の上に立っておられます。最高の権威を持っておられる方です。その偉大な神様を私たちは信じ、その神様の子として生きています。
クリスチャンになるということは、今までの考え方を全く変えることです。その中に神様を最高権威者として生きる、ということが含まれています。今までは家で一番偉い人はお父さんだったかもしれません。国では国の首相であったかもしれません。しかし、クリスチャンになる、ということは、これからはイエス様を一番偉い人として生きる、イエス様の権威に従い、イエス様の教えに従って生きる人になることです。
江戸時代に多くのクリスチャンは徳川家康など将軍たちに従うことよりもイエス様に従うことを選び、処刑されて殺されて行きました。この使徒たちの時代から50年後には多くのクリスチャンたちがローマ皇帝を拝むことを拒んでローマのコロシアムで獣に殺されて殉教の死を遂げました。
このようにクリスチャンたちは神様第一、イエス様第一にして生きる人です。
2.キリストの証人
次に、使徒たちは大祭司たちに言いました。私たちクリスチャンは、イエス・キリストが救い主であることを人びとに告げるキリストの証人です、と。30節~32節を見てください。クリスチャンたちが証言したことは、①イエスは木(十字架)にかけられて死んだこと。②その殺されたイエスを神はよみがえらせたこと。③なぜ神はそのようなことをお許しになったかというと、人びとが罪を悔い改めてイエスによって罪が赦され、救われるためでした。④そのイエスは神の右におられて私たちを救い、導いておられるお方です。神様の右におられるということは、父なる神様と同じ権威を持っておられる、ということです。つまりイエス様は神様です、ということです。2:33~34を見てください。
その神様が私たちの救い主になられ、私たちの導き手(指導者)になられたのです。
このイエス様の働きは、使徒たちが自分の目で見て証人、目撃証人として言っていることであると同時に、イエス様を信じているクリスチャンたちの中に宿っている聖霊も証言しているのです。
これはとても大切なことです。なぜなら現在、教会やクリスチャンたちで神様を第一にしないでいる教会やクリスチャンが多くなってきているからです。また、イエス様のことを証言しない教会やクリスチャンが増えているからです。
3.人びとの反応
次に、人びとの反応を見てみましょう。イエス・キリストについて証言し、宣べ伝えると、33節以下にありますように、猛烈に怒り、反対する人が出ました。また、ガマリエルのような冷静な人もいます。
みなさんは、イエス様の福音を証しした時に強く反対されたことがありますか?そういう時にはどうしたらよいでしょうか?イエス様は以前に学んだ「山の上の説教」の中で次のように教えて下さいました。
そのような反対の中でも、私たちは私たちの生き方、生活態度によってイエス・キリストの愛を示していくのです。そうすると、神様はしばしばガマリエルのような人を用いて私たちを助けてくださいます。ガマリエルはカエルのような名前ですが、この当時の有名な学者で、多くの人々に尊敬されていた人でした。
彼は大祭司たちが怒り、興奮しているのを見て、その場を落ち着かせました。使徒たちを議場の外に出し、それから議員たちに話したのです。サタンがクリスチャンたちを攻撃する時に使う手の一つは、私たちを感情的にさせて混乱を起こし教会を破壊し、クリスチャンたちを弱めることです。このようなサタンの働きで分裂した教会がたくさんあります。仲たがいしたクリスチャンが大勢います。私たちは気をつけなければなりません。さまざまな違った意見や考えが出て相入れなくなり、言い争いになり、興奮してしまった時には、私たちは冷静になることが大切です。心を静めて神様の前に出ることです。祈ることです。神様はガマリエルと言う人を用いて使徒たちの働きを守って下さいました。38~39節のことばを見てください。
ガマリエルは言います。
これは傾聴に値する言葉です。私の過ごしてきた60数年のクリスチャン生活の中で様々なことがありました。すごく派手に宣伝され、流行のようになり多くの教会が同じようなことを行った計画があります。しかし、今はそのような計画や行動はすたれ、なくなりました。しかし、人々に時代遅れのように思われ、言われる計画でも60年以上続き、着実に実を結んでいる働きもあります。
ですから私たちがなすべきことは神様のみ心を知って計画し、み心に従って行動していくことです。
4.使徒たちの取った態度
最後に、使徒たちの取った態度から学びましょう。使徒たちは大祭司たちや議員たちに呼び戻されて最高法院にきました。そして驚くべきことに「鞭でうたれ、イエスの名によって語ってはならないと命じられた上で釈放された」のです。いくら昔だからといっても、ひどい仕打ちです。何も悪いことをしていないのですから。しかし使徒たち、クリスチャンたちの反応はどうでしたでしょうか?
- 使徒たちは御名のために辱められるに値する者とされたことを喜んだ。
- 毎日、イエスがキリスト(救い主)であることを教え、宣べ伝えることをやめなかった。
- 宮、エルサレムの神殿で、多くの人々に、また、家々で、個人的な家、家庭集会で福音を教え、宣べ伝え続けた。
鞭打ちの刑で背中は傷つき、はれ上がり、痛んでいたでしょう。しかし、彼らはその痛みに負けず、イエス・キリストの証しを止めませんでした。パウロは「みことばを伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(第2テモテ4:2)と教えています。私たちもしっかりみことばを伝え、イエス・キリストが私たちの唯一の救い主であることを証ししていきましょう。お祈りしましょう。