日本福音キリスト教会連合

モーセのような一人の預言者

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

使徒の働き7:17~43

   

聖書は最下段
ユダヤ人にとって国家的英雄と言えば、まずアブラハムです。
次に挙げるとすればモーセであり、ダビデです。
ステパノはユダヤ人が誇りとしている先祖アブラハムとヨセフについて語り、今度はモーセについて語ります。
ステパノ及びクリスチャンたちは「聖なる所を汚している、神殿を壊そうとしている、また、モーセが伝えた慣習を変えようとしている」と非難されたのです。そこでアブラハムに続いてユダヤ人の先祖ヨセフの例を挙げてステパノは語りました。あなた方の先祖ユダヤ人たちはヨセフを妬んで、拒絶したではないですか。その上、彼をエジプト人に奴隷として売り飛ばしたのです。神様の約束の地カナンからエジプトに行かせたのです。あなた方の先祖はこんなに悪いことをしたのです。しかし、神様はエジプトででもヨセフとともにいてヨセフを祝福しました。エジプトでヨセフは多くの苦難を通らされましたが、苦難の中から救い出してくださったのです。最後にはエジプトの宰相となったのです。その上、ヨセフは自分を嫌い、妬み、エジプト人に売り飛ばしたあなた方の先祖ユダヤ人を受け入れ、彼らに充分な穀物を与えたのです。彼らの罪をも赦したのです。ステパノがここでヨセフについて語ったのは、実は、ヨセフはイエス・キリストを指し示す、ひな型であることを気がつかせるためです。主イエス・キリストもヨセフと同じようにあなたがたユダヤ人によって苦しめられました。あなた方は主を拒絶し、罪のないお方を十字架に付けて殺したではないですか。しかし、主は死からよみがえり、私たちの、あなた方の罪を赦して下さる救い主なのです。

あなた方はこのような悪いことを主イエスにしたのです、とステパノは語ったのです。
【前回の記事】苦難からの救い

ユダヤ人の先祖アブラハムになされた神様の約束は「アブラハムの子孫によって全世界の人を祝福する」と言うことでした。ステパノはその約束に加えて、6節に書いてありますように、「彼の子孫は他国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。」と言う約束にも触れました。その「約束の時が成就する時が近づくにしたがい、民はエジプトで大いに数が増え」(17)ました。ところがヨセフの時代から時が経ちましたので、人々も王様ファラオもヨセフのことを全く知らない世代になりました。ヨセフによって助けられたことを知らないエジプト人たちはユダヤ人の人口が増えてきたので、ユダヤ人を恐れるようになり、ユダヤ人の人数を少なくするためにユダヤ人の子供、男の子が生まれたら捨てて殺すように命令を出したのです。そんな危機的な時にあなた方の先祖モーセは生まれたのです、とステパノは話し続けました。

1.モーセの生涯の意味について

「アブラハムになされた約束のが」(17)、「別の王がエジプトに起こるまで」(18)、「モーセが生まれたのは、このようなでした。」(20)このようにステパノは17節、18節、20節に繰り返して「時」と言うことが出てきます。ここで彼が私たちに教えていることは、神様の時を知ることの大切さです。神様は私たちの人生を支配し、導いておられるお方です。クリスチャンとして大切なことは、私たちの人生における神様の時を知ってそれに従うことです。私たちは自分の人生が将来どうなるかよく分かりません。しかし、神様は私たち一人一人に「神様の時」を定め、神様のご目的のために導いて下さっているのです。

顧みる心

ステパノはモーセの生涯を40年という時間で分けて話しました。初めの40年、生まれてから40歳まで、モーセはユダヤ人の子として殺されるべき人でしたが、神様によって救われて、エジプトの王様ファラオの娘の息子養子として育ち、高い教育を受け、豊かな生活をしました。ところが、40歳になって成人した時、(この時代、40歳で成人となるのです。)彼の心に自分の民族であるユダヤ人はどのような生活をしているのか、ということを顧みる心が起こりました。これは神様が「顧みる心」を起こしたのです。そこでモーセは王宮を出て町の中に入っていきました。

神様はしばしばこのように「顧みる心」を起こして「神様の時」を私たちに示して下さいます。今まで関心もなかったこと、それが自分の家族や友人に証しすることであったり、東南アジア諸国で宣教することであったり、新しい職業に転職することであったり、人によって違いがありますが、神様は神様の時に私たちのするべきことを「顧みる心」を起こし教えてくださいます。

ヘブル人への手紙3章でモーセとイエス・キリストが比較されています。そして3:7~8で

「ですから、聖霊が言われる通りです。『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたは心を頑なにしてはならない。』」
と言われている通りです。神様の時に神様の御声を聞いたならば、私たちは心を開いて神様の導きに従っていくのです。

モーセは自分の同胞を「顧みる心」が起こされて、町に入ってみるとどうでしょうか。自分と同じユダヤ人がエジプト人に虐待されているのです。モーセはとっさに打たれているユダヤ人を助け、エジプト人を殺してしまいました。次の日もモーセは王宮を出て町の様子を見に行きました。すると、今度はユダヤ人同士が喧嘩しているのです。そこですぐにモーセは間に入り「君たちはユダヤ人同士じゃないか。なんで喧嘩なんかするのか。」と言うと、その喧嘩していたユダヤ人たちは、『あんたは誰だ。昨日エジプト人を殺したようにおれたちも殺す気か。誰がお前をおれたちの指導者に、裁き人にしたのか?』と言ったのです。モーセはこれを聞いて、昨日のことがもうバレて人々の間に知れ渡っているのを知り、これはヤバイ、王様に捕まって裁かれる。私は、ユダヤ人たちを助けようと思っているのに、ユダヤ人たちは私のことを受け入れてくれない、いや、私を拒絶し、排斥して「誰がおまえを指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。」(27)と言っていることが分かったのです。

逃亡生活

このようにあなた方の先祖のユダヤ人はモーセを拒絶したのです。モーセは恐れて、エジプトからミディアンの砂漠の地に逃亡しました。

モーセは、あなた方の先祖のユダヤ人に拒絶されて、次の40年間砂漠の地で暮らしました。王宮の生活から砂漠、荒野の中で牧畜生活をすることになりました。40年経った時に、つまり80歳になった時、モーセは羊の群れとともにシナイ山近くの荒野にやってきました。その時に、とても不思議な光景を見たのです。それは柴の木が火で燃えているのです。ところが燃えて炎は見えているのに木が焦げて、燃えてなくならないのです。モーセは不思議に思って、どうなっているのかと燃える木のそばに近づいて行きました。

すると神様の御声が聞こえたのです。

神様からの召し

「わたしはあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。」(32)それを聞いてモーセは震えあがり、目も挙げられませんでした。神様は言われました。「あなたの履物(サンダル)を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見た。また彼らのうめきを聞いた。だから、彼らを救い出すために下って来たのだ。今、行け。わたしはあなたをエジプトに遣わす。」(7:33~34)

ステパノは、神様が「アブラハム、イサク、ヤコブの神である。」「ある」と現在形で言って、神様が生きて今も働いておられるお方であることをモーセに示しました。

その上、真の神様は、きよいお方で、神様のおられる所が聖なる所であることを強調されました。これはアブラハムの時にも、ヨセフの時にも強調し言われたことです。

更に、神様はユダヤ人たちの苦しみを見ておられるお方で、彼らのうめき声を聞かれているお方でもある、と言ったのです。そして神様は、ユダヤ人たちをエジプトでの奴隷としての苦しみから救い出した救い主でもあることをステパノは語りました。

ステパノは強調します。あなた方の先祖はこのモーセに「誰がおまえを指導者やさばき人として任命したのか」と言って拒絶したのです。ところがあなたがたが拒絶した「このモーセを神様は指導者また解放者」(35)としたのです。そして神様がモーセをエジプトに遣わしました。

ステパノは、ここでペテロがペンテコステの時に説教(使徒2:22、23、24、25、32)の中でイエス様のことを強調して使った「このイエス」という言い方と同じように、「このモーセ」と言う言い方を繰り返して言いました。「人々が拒んだこのモーセを」(35)、「この人が人々を導きだし」(36)、「このモーセが」(37)38節に「また、モーセは」となっていますが、直訳すると、「この人は」となります。

エジプトからの解放

それから第3番目の40年間、つまりモーセが80歳から120歳までの間、モーセはあなた方の先祖たちをエジプトから導き出し、荒野であなた方の先祖たちに不思議と神様のしるしを行ってくださったのです。神様はあなた方の先祖をエジプトから救い出した救い主です。ここで37節を見てください。

「このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神はあなた方の同胞の中から、私(モーセ)のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』」
と言われたのです。

2.モーセのような一人の預言者=イエス・キリスト

この旧約聖書の預言のことばは、使徒の働き3:22にも出てきます。その時は、ペテロがイエス・キリストの名によって足が癒されて喜んでいる人について、ここでステパノを非難している人と同じ祭司長たちや長老たち、律法学者たちに話したのです。3章22節と23節を読んでみましょう。

「モーセはこう言いました。『あなた方の神、主は、あなた方の同胞の中から、私のような一人の預言者をあなた方のために起こされる。彼があなたがたに告げることすべてに聞き従わなければならない。その預言者に聞き従わない者は誰でも、自分の民から断ち切られる。』

ペテロはここで、この預言されている「私のような一人の預言者」とは主イエス・キリストのことだ、と教えています。ステパノも同じことを言っているのです。この「モーセのような一人の預言者」はイエス・キリストなのです。
それなのにあなた方はイエス・キリストを拒絶して、苦しめ、十字架に付けて殺したのです、とステパノは彼らを責めたのです。

その上、モーセは、あなた方の先祖に「生きたみことば」(38)を与えたのです。それはイスラエルの民が従うべき十戒であり、十戒を実生活の中で行うための細則でした。大まかに言えば聖書です。ところがどうでしょう。あなた方の先祖はモーセに反逆し、生きたみことば、聖書の教えに聞き従わずに自分たちで金の子牛の偶像を作ってその偶像にいけにえをささげたり、拝んで罪を犯し、神様の約束の地に行くよりエジプトに戻りたい、と不満を言い、さらに天体に輝く星を神として拝んだりして真の神様に反逆しました。

アモスが預言した通りではないですか?

「イスラエルの人々よ、あなたがたがモーセに率いられて荒野を40年間さまよっていた時、真の神様の所にいけにえと捧げものを持ってきたことがありますか?真の神様を礼拝し、従う代わりに、あなた方は自分たちで金(きん)を集めて子牛を作り神に仕立てたではありませんか。また、エジプト人やアッシリア人の神々であるモレクや星の神ライパンを拝んだりしたではないですか。人間の手で作った物がどうして真の神様になることができますか?このように、あなた方の先祖のユダヤ人たちの心は真の神様から離れて、神様に従おうとしなかったために、神様にさばかれてバビロンに捕えられて捕虜として過ごすことになりました。」(7:42~43)

真の神様から「生きたみことば」を受けたのに、それに聞き従いませんでした。しかし、今、神様は御子イエスを私たちに遣わし、私たちを救うために十字架の道を備えてくださいました。そのイエスの生きたみことばを聞こうともせず、従おうともせずにあなた方は形式的にエルサレムの神殿を守っているだけです。

3.まとめ

ステパノの弁明はクリスチャン生活で一番中心的なことで、大切なことを教えています。それは第一に、私たちが主イエス・キリストとともにいることです。私たちの生活の中心に主イエス・キリストがいて、主と親しい交わりをしているかどうか、ということです。私たちが教会堂に来て、皆と一緒に主イエス・キリストを礼拝することはとても大切なことです。しかし、礼拝や教会の集会の時だけ主イエス・キリストを覚え、心の中心に置いて、主と交わり、礼拝しているだけでは、日曜日(サンデー)クリスチャンになってしまいます。ここでステパノやクリスチャンたちを非難しているエルサレム神殿信者と同じになってしまいます。私たちがどこにいても主イエス・キリストとともにいて、ともに歩むことが大切です。アブラハムはメソポタミアで、ハランで、カナンで、エルサレムで神様とともにいて主を礼拝しました。ヨセフも同じです。エジプトで奴隷だった時も、王宮にいた時も主とともにいて、主を礼拝しました。モーセも同じです。ファラオの王宮にいた時も、荒野のミディアンにいた時も、シナイ山でも主とともにいたのです。主はモーセに「あなたの立っている場所は聖なる地である。」と言われました。私たちも同じです。私たちがいる所に主イエス・キリストがともにいてくださる、そこが聖なる場所なのです。

主イエス・キリストから離れて、主を拒絶して、自分の思い、自分中心になって偶像を拝んではいけません。アモスが言うように、私たちが主を心から礼拝しないで、金の子牛にたとえられるようなお金や物を心の中心に置いてしまうなら、それは偶像礼拝です。日本人の多くが真の神様を知りませんから、私たちの周りには様々な偶像があります。「モレクの幕屋」や「ライパンの星」のような、占いとか、今日の運勢とか、星座とか、迷信とか、まじないとかを遊び心で行ったり、方角や、日にちや霊を恐れて様々なパワースポットを作り、そこに行って拝んだりするとか、山の頂上にある祠や何を祭っているか分からない神社など、があります。

また荒野を旅している最中にイスラエル人たちが困難に直面すると、エジプトの方が良かった、と言ったように、あるクリスチャンたちは、人生の中で困難に直面すると、クリスチャンにならなければよかった、とか、日曜日には教会なんかに行くより、遊びに行った方が良い、とか、主イエス・キリストとともにいることよりもクリスチャンでない人のように生活することを願って、クリスチャン生活に不満を言う人、主イエス・キリストとともにいることから離れて自分の欲望に従っていきたい人が出てきます。

真の神様は私たちをいつも愛しておられる方であるとともに、義なる方です。罪、不正を嫌われるお方です。神様は義を持って私たちを正しく裁かれます。神様は

「不道徳な者たちの放縦な振る舞いによって悩まされていた正しい人ロトを(ソドムから)救い出されました。この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。」(第2ペテロ2:7~8)

主イエスとともに歩み、この世の中で「世の光、地の塩」として形式ではなく、生き生きとしたクリスチャン生活をしていきましょう。お祈りしましょう。

使徒の働き 7:17~47    最初に戻る

さて、神がアブラハムになされた約束の時が近づくにしたがい、民はエジプトで大いに数が増え、
ヨセフのことを知らない別の王がエジプトに起こる時まで続きました。
この王は、私たちの同胞に対して策略をめぐらし、私たちの先祖たちを苦しめて幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。
モーセが生まれたのは、このような時でした。彼は神の目にかなった、かわいい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、
ついに捨てられたのをファラオの娘が拾い上げ、自分の子として育てました。
モーセは、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにも行いにも力がありました。
 モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。
そして、同胞の一人が虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち殺して、ひどい目にあっていた人のために仕返しをしました。
モーセは、自分の手によって神が同胞に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。
翌日、モーセは同胞たちが争っているところに現れ、和解させようとして言いました。『あなたがたは兄弟だ。どうして互いに傷つけ合うのか。』
すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけながら言いました。『だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。
昨日エジプト人を殺したように、私も殺すつもりか。』
このことばを聞いたモーセは逃げて、ミディアンの地で寄留者となり、そこで男の子を二人もうけました。
 四十年たったとき、シナイ山の荒野において、柴の茂みの燃える炎の中で、御使いがモーセに現れました。
その光景を見たモーセは驚き、それをよく見ようとして近寄ったところ、主の御声が聞こえました。
『わたしは、あなたの父祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』モーセは震え上がり、あえて見ようとはしませんでした。
すると、主は彼にこう言われました。『あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。
わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見た。また彼らのうめきを聞いた。だから、彼らを救い出すために下って来たのだ。今、行け。わたしは、あなたをエジプトに遣わす。』
 『だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は、柴の茂みの中で彼に現れた御使いの手によって、指導者また解放者として遣わされたのです。
この人が人々を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年の間荒野で、不思議としるしを行いました。
このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』
また、モーセは、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会にいて、私たちに与えるための生きたみことばを授かりました。
ところが私たちの先祖たちは、彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って、
アロンに言いました。『われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き出した、あのモーセがどうなったのか、分からないから。』
彼らが子牛を造ったのはそのころで、彼らはこの偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造った物を楽しんでいました。
そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の万象に仕えるに任せられました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。
  『イスラエルの家よ。あなたがたは
  荒野にいた四十年の間に、
  いけにえとささげ物を、
  わたしのところに携えて来たことがあったか。
  あなたがたは、モレクの幕屋と
  神ライパンの星を担いでいた。
  それらは、あなたがたが拝むために
  造った像ではないか。
  わたしはあなたがたを、
  バビロンのかなたへ捕らえ移す。』
 私たちの先祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりのものでした。
私たちの先祖たちは、この幕屋を受け継いで、神が自分たちの前から追い払ってくださった異邦の民の所有地に、ヨシュアとともにそれを運び入れ、ダビデの時代に至りました。
ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの家のために、幕屋のとどまるところを求めました。
そして、ソロモンが神のために家を建てました。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

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