日本福音キリスト教会連合

サタンとの戦い

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

使徒の働き4章36節~5章11節

キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
ところが、アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、
妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
すると、ペテロは言った。「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」このことばを聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。これを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。若者たちは立ち上がって彼のからだを包み、運び出して葬った。
 さて、三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。
ペテロは彼女に言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」彼女は「はい、その値段です」と言った。
そこでペテロは彼女に言った。「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」
すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えた。入って来た若者たちは、彼女が死んでいるのを見て運び出し、夫のそばに葬った。そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。              聖書 新改訳2017

教会が主によって祝福され、前進していくと、サタンは必ず教会を攻撃します。同じように、クリスチャンが信仰生活を忠実に続けていくと、サタンはクリスチャンを攻撃してきます。その攻撃は外側からと内側からと両面があります。

使徒の働き3~4章ではペテロとヨハネが足が不自由で歩けなかった人を神様の力で癒すと、エルサレムにいた指導者たち、長老たち、律法学者たちはペテロとヨハネを逮捕して拘束しました。クリスチャン達、教会はクリスチャンではない人々から反対され、迫害を受けました。サタンの働きはこのようにクリスチャンではない人々から、外側からやってきます。

ところが今日の箇所、5章には教会の内側から起こって来るサタンの攻撃が記されています。

先週、リーズナー先生のメッセージを通して神様は私たちを公平に裁かれる方ですから、私たちはこの地上で生きている間、主を恐れつつ過ごすことを教えられました。 聖霊の働きで教会が前進していくと、サタンは教会の内側に、クリスチャン達の中にも働き、教会の働きを止めようとします。ですから私たちは、サタンの外部からの攻撃と内部からの攻撃に気を付けていかなければなりません。

1.見栄を張る誘惑

バルナバは自分の不動産を売り払って、その代金を全部使徒の下に持って来、献金しました。この個所を説明しました時、私は献金について聖書の教えを紹介しました。献金をささげる時に一番大切なことは献金額ではなく、献金する私たち一人一人の神様に対する心です。

バルナバは自分の不動産を売って、その代金全部を教会にささげました。5:4に書かれていますように、別に全部ささげなくても良いのですが、彼は「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」喜んで、自分の心で決めて、全額を献金しました。

ところが(5:1)それを見て知っていた一夫婦、アナニアと妻のサッピラも同じように自分の土地を売り、その代金の一部を教会に献金しました。

3節のことばから分かりますように、この夫婦の心にサタンが働きました。それは彼らの心に「見栄を張る」心を起こしたのです。

つまり、アナニアとサッピラは、バルナバと同じように全部ささげたように他の人に言って、皆から注目を浴びたかったのでしょう。しかし、全額をささげるのは惜しいと思っていたのです。ですから土地を売った代金の一部をささげたのですが、使徒たちや他の人には土地を売った全額を献金した、と言ったのです。これを見破ったペテロのことばは厳しいものです。5章3~4節、

「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でもあなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

サタンは、私たちを神様の心から離そうと働きます。その一つが私たちに「見栄を張る」ように誘惑することです。「見栄を張る」というのは、自分を自分以上に見せるようにすることです。

現在でもサタンは私たちクリスチャンを、また、教会を同じように「見栄を張る」という手を使って誘惑してきます。他の人に自分がいかに優れているか、自分がありのままの自分以上に高く評価されたい、と思いを起こし、そのように行動し、話します。例えば、必要以上に上等なブランド物の服を着たり、バッグや装飾品を持って自分が如何にも金持ちであるかのように見せたりする人がいます。多額の現金を持っていることを他の人に言うだけではなく、見せたりします。2年ほど前にそのようにしていた奥多摩在住の人が殺された事件がありました。その人は箱に一万円札を入れて、それを他人に見せびらかしていたそうです。しかし、実際は表面だけに本物の一万円札を並べていたので、その下は偽札、普通の紙を入れていたそうです。

サタンは私たちクリスチャンにも働いて、皆にすごい、とか、かっこいい、とか言われ、他の人に注目されたい、と願う心を起こさせるのです。

しかし、神様は私たち一人一人を正しくご存知で、ありのままの私たち一人一人を受け入れて、愛していてくださるお方です。神様は私たちを必要として、私たちを選び、罪から救いに導き、神様の子として受け入れてくださいました。私たちは見栄を張る必要はありません。またコンプレックスを持つ必要もありません。なぜなら神様は私たちが弱いとか劣っているとか考えていることをすべてご存知の上で私たちをありのままで受け入れて、愛し、神様の子どもにしてくださっているのですから。

アナニアは土地を売った代金を献金しなくても良いのです。自由に使ってよいのです。もちろん悪いことに使ってはいけませんが。一部をささげても、全額捧げても良いのです。自由にしてよいのです。問題は見栄です。彼はバルナバと同じようにいかにも全額捧げたように他の人に見せかけたかったのです。

2.ほかの人と比較する誘惑

第2の問題は、アナニアとサッピラは、バルナバと比較したことです。サタンはしばしば私たちを誘惑して比較競争させようとします。この比較と競争は、神様のみこころではありません。先程言いましたように、神様は私たち一人一人を愛しておられます。私たち一人一人をありのままで受け入れて下さいます。私たち一人一人を必要として選び、救いに導いてくださいました。要らないクリスチャンなんていないのです。ですから、私たちは一人一人違った能力を持ち、違った性格を持っているユニークな者ですが、そのユニークさを用いて神様のご用をし、神様のご栄光を現わして生きていくのです。他の人と比較したり、競争をしたり、見栄を張って自分以上に見せる必要はないのです。ところがサタンは私たちを誘惑してクリスチャンになったのに比較させたり、競争させたり誘惑して来ますから気を付けなければなりません。

3.嘘をつく誘惑

第3に、私たちが見栄を張り、他の人と比較して自分を優れているように見せるためにサタンは、私たちに「嘘」を言うように誘惑します。アナニアは使徒や他のクリスチャン達に嘘を吐いたのです。土地代金全額ではないのに、全額だ、と嘘をついたのです。日本人は良く嘘を言います。「嘘も方便」ということわざがある位です。安倍前首相が国会の答弁で119回嘘を言った、と報道されましたが、それほど重大なこととは思われていません。安倍前首相も議員を辞任しません。しかし、聖書は、神様は、嘘は大きな罪だと教えています。モーセの十戒の第9戒には、「あなたは隣人について、偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト20:16) とあります。クリスチャンは嘘をついてはいけません。嘘は罪です。ここでペテロは言っているとおり、アナニアは「人を欺いたのではなく、神をあざむいたのです。」(4)3節では「聖霊を欺」いた、と言われています。ルカはルカの福音書12:10にイエス様が「聖霊を冒涜する者は赦されません。」と教えられたことを記しています。

4.サタンの誘惑から逃れる道

それでは、私たちが神様の前に罪を犯した時にはどうしたら赦されるのでしょうか?罪を悔い改めることです。ペテロはペンテコステの時にも、足の不自由な人が癒されたのを見て集まってきた人々にも「悔い改めて神に立ち返りなさい。」(3:19)と言った通りです。

この時も、ペテロはサッピラに悔い改めるチャンスを与えています。アナニアが神様によって裁かれたことを知らずにペテロの下に来たサッピラにペテロは尋ねました。8節を見てください。

「ペテロは彼女に言った。『あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。』」と言いました。サッピラは「いえ、違います。売ったお金の一部です。」と答えるチャンスが与えられたのです。しかし、彼女は悔い改めず、嘘を通したのです。主なる神様は彼女を夫と同じように裁かれました。

自分の非を認めることは、難しい時があります。私たちは主イエス・キリストのよって罪赦された者ですが、罪赦された罪人です。サタンは私たちを誘惑して自分の罪を認めないように働き、たとえ認めてもこんな小さな嘘、何でもないよ、と軽く考えさせるように誘惑します。また、あの人が悪いから自分は罪を犯したのだ、と自分の責任を他の人のせいにする、責任転嫁をするように誘惑します。また、私たちを他の人と比べさせ、他の人だって皆やっているから、と罪を無視し、悔い改めないようにさせます。しかし、聖書は厳しく、私たちが罪を犯したらその罪を悔い改めるように、悔い改めて神様に立ち返るように教え命じています。先週、リーズナー先生は第1ペテロから、神様が聖なる者ですから、私たちクリスチャンも聖なるものとなり、心を引き締め、身を慎み、生活のすべてに於いて聖なる者となりなさい、と教えてくださいました。更に、先生は、神様は人をそれぞれのわざに従って公平に裁かれる方ですから、主を恐れつつ過ごしなさい、とも教えてくださいました。

そうです。神様は罪をさばかれるお方です。アナニアとサッピラは罪を悔い改めて神に立ち返りませんでしたので、神様に裁かれてその場でいのちを奪われました。

神様は愛なるお方です。と同時に、神様は聖なるお方です。罪を憎まれ、罪をさばかれるお方です。

皆さんが、教会の歴史を学ぶ機会がありましたら、サタンがクリスチャンたちを、教会をどのように誘惑し、神様の働きを阻害し、曲げていったかを知ることができるでしょう。日本の教会の歴史にもこのようなことがあります。明治時代から大正時代に活躍した作家に有島武郎という人がいます。この人は北海道大学の学生の時にクリスチャンになりました。とても信仰熱心でしたが、後に信仰から離れ、内村鑑三に神様に立ち返るように強く勧められましたが立ち返りませんでした。作家として多くの作品を残し、有名な人になりましたが、教会を離れてからの生活は乱れ、最後は愛人と共に軽井沢の三笠ホテルの近くで自害してしまいました。かつて教会で熱心なクリスチャン生活をしていた人が信仰を捨てて、神様から離れていった、という人を私は何人も知っています。

よみがえられたイエス様は言われました。「死に至るまで忠実でありなさい。」(黙示2:10)

神様がアナニアとサッピラをさばかれたことを知った「教会全体とこのことを聞いたすべての人たちに大きな恐れが生じた。」のです。私たちもいつも主を恐れてサタンの誘惑を退けていきましょう。パウロはガラテヤのクリスチャン達にこう書いています。ガラテヤ人への手紙6章7~9節、

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。」

いつも主イエス・キリストから目を離さずに生きていきましょう。主イエスを恐れて聖霊に励まされて、互いに励まし合い、サタンの攻撃を退け、信仰生活を前進していこうではないですか。

お祈りしましょう。

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