いったい、これはどうしたことか?
使徒の働き2章1~13節
ユダヤ人には三大祭りがありました。第1は過ぎ越しの祭、第2は七週の祭、そして第3が仮庵(かりいお)の祭です。
過ぎ越しの祭は、イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から神様によって救い出されたことを記念して行われました。
第2の七週の祭は、過ぎ越しの祭が終わった次の日から数えて7週間目、つまり50日目に始まるお祭りです。これは収穫祭でもあります。小麦などの穀物の収穫を過ぎ越しの祭が終わった次の日から始め
、7週間で収穫を終え、お祝いするのです。
イエス・キリストは過ぎ越しの祭の最中に、金曜日に十字架に付けられて死にました。
土曜日は安息日でその日に過ぎ越しの祭は終わりました。その翌日、三日目の日曜日の朝にイエスはよみがえられました。ということはこの日から数えて50日目が七週の祭の日です。50日目ですから、日本語では五旬節と訳されています。原語ではペンテコストス、50番目ということです。
1.ペンテコストスでの聖霊降臨
このお祭りには世界中からユダヤ人たちがエルサレムに集まって来てお祝いしました。
合宿をしていたイエスの弟子たちと120人ほどになったクリスチャンたちもこの収穫を祝うお祭りを楽しみにしていたようです。そのクリスチャンたちが、朝早くから「同じ場所に集まっていました」。この場所は2節に「家」と書いてありますから今迄合宿をしていた大きな家だったのでしょう。
すると突然のことですが、天から「激しい風が吹いて来たような響きが起こり」(2)ました。この轟音は家全体に響き渡ったのです。皆さんは今迄このような激しい風の音を聞いた事があるでしょうか?猛烈で強い台風がやってきた時にも、同じような轟音が聞こえるかもしれません。
勘違いしないように注意しなければなりませんが、この時、風は吹いていなかったのです。「激しい風が吹いて来たような響きが起こ」ったのです。
風は吹いていませんが、そのような轟音が耳に聞こえたのです。それだけではありません。見ていると、炎のような大きな舌のような形をした火が現れ、舌が分かれたような形をした炎になっているのです。その分かれた一つ一つの炎のようなものがそこにいたクリスチャン達一人一人の上にとどまっているのが見えたのです。
耳で轟音を聞き、目で巨大な炎を見た上に、今度は、そこにいたクリスチャン達全員がヘブル語以外の外国語で話し始めたのです。
これがイエス様が弟子たちに言われた「父の約束」の成就でした。
4節にありますように、これは聖霊が下り、クリスチャン達は聖霊に満たされたのです。そして聖霊がクリスチャンたちに外国語で話させたのです。
ここでイエス様が言われたことを振り返ってみましょう。使徒の働き1:4~5を読んでみましょう。
このことばから分かりますように、「父の約束」とは弟子たちが「聖霊によるバプテスマを(父なる神様によって)授けられる」ということです。また、イエス様は、1:8で、
この「父の約束」の成就は、弟子たちの耳と目と口に超自然的な現象を体験させ、弟子たちに聖霊のバプテスマが授けられたことを教えました。「聖霊によって力を受けてキリストの証人となる」ということも、弟子たちがそれぞれ違った外国語で「神様が行われた大きなみ業」(2章11節)を話すことを通して示されました。
クリスチャンたちが聖霊のバプテスマを受け、聖霊に満たされて話した外国語はどんなことばだったのでしょうか?
2.聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンたち
5節を見てください。
「住んでいた」のは、長期の人もいましたが、この祭りに合わせて短期間エルサレムに来ていた人たちも含まれていました。
彼らは世界各国からやってきた人たちでした。
ユダヤ人なのにどうして世界の各地に散らばっていたのでしょうか?
それは彼らが昔、戦争の捕虜としてアッシリアやバビロンやシリアに連れて行かれたユダヤ人の子孫や、戦争の危険を逃れてアフリカやギリシャや世界の果てに逃げて行ったユダヤ人たちの子孫であったからです。
現在にそれに近い例を挙げると中国人たちと言えるかもしれません。世界中の国々に中国人、華僑がいます。このようなユダヤ人は外国で育ちましたからその土地のことばが母国語でその上、ユダヤ人としてヘブル語も喋るのです。
大嵐のような音を聞いてエルサレムにいた大勢の人が弟子たちやクリスチャンたちが集まっている所(多分この時には家から出て外の広場にいたと考えられている)に集まってきました。来て見るとびっくり。
弟子たちがガリラヤ訛りのヘブル語ではなくて、外国語で話しているのです。しかもそれぞれが彼らの出身地の外国語をしゃべっているので、喋っていることが彼らによく分かるのです。エルサレムから見たら東の方のパルティア、メディア、エラム、メソポタミアのそれぞれの地方のことばで喋っているだけではなく、北のユダヤ、カパドキア、ポントス地方のことばでも、南のフリュギア、パンフィリア、エジプト、リビア地方の言葉でも喋っている人がいます。さらに西に遠く、ローマのことばでも話している人がいるのです。
それも私が話す日本語訛りのタイ語のようではなく、彼らはガリラヤ人なのに、それぞれの外国語をパーフェクトに喋っているのです。考えられないで呆気にとられていました。
ですから多くの人は「いったいこれはどうしたことか」と言って不思議がり、驚いていました。クリスチャン達を嫌っている人たちは「奴ら、新しいぶどう酒飲んで酔っぱらっているのだ」と悪口を言っていました。
ルカは「前の書」(ルカの福音書)でこのことを次のように言っています。ルカ3:16~17を見てください。
ここでバプテスマのヨネが言っていますように、イエス様は、ヨハネより「力のある方」です。
また、イエス様は「聖霊と火でクリスチャンにバプテスマを授けられます。」更に、イエス様は収穫した穀物のある「脱穀場を隅々まできよめ」られます。
この日(五旬節)聖霊がクリスチャンたちの上に下り、イエス様によって聖霊のバプテスマを授けられました。ヘブル語でもギリシャ語でも「風」と「霊」は同じことばですから、クリスチャンたちが耳にした風のような「轟音」は聖霊の力の象徴です。
「火でバプテスマを授けます」と言われたように舌のような火がクリスチャン一人一人の上に現れました。
「火」はきよめの象徴です。罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架による贖いとよみがえりを信じた者は、火のバプテスマを受けて聖霊によってきよめられたのです。
更に、聖霊はクリスチャンたちの中に宿り、クリスチャンたちは聖霊によって力を受けて地の果てまで、キリストの証人となったのです。
ですから、五旬節にいたクリスチャンたちは聖霊によって、世界中のことばで「神様のみ業」、福音を語ったのです。
つまり福音はユダヤ人のものだけではなく、全世界のすべての人のためなのです。聖霊による働きを見た人々は、「いったい、これはどうしたことか」と言いました。
3.聖霊の力を受けてキリストの証人になる
現在も同じです。
私たちが聖霊の働きでイエス・キリストを信じ、救われて、聖霊のバプテスマを受け、生活が変わり、考え方が変わり、興味が変わり、言動が変わると、私たちの家族や友人、知人は「牧野、一体、どうしたのだ。」「なんでクリスチャンになったのだ?」と驚き、尋ねて来ます。
その時、私たちは聖霊の力によって私たちになさった「神様の大きなみわざ」を周りの人々に分かるように話すのです。これが「聖霊の力を受けてキリストの証人になる」と言うことです。
この時、エルサレムで聖霊の働きを見聞きした人々は後に自分の故卿に帰り、主イエス・キリストのことを証ししたことでしょう。このようにしてイエス様の救いは全世界に広がって行ったのです。
私たちも聖霊の力を受けて私たちの周りの人々にイエス・キリストによる救いの福音を伝えることができるように、祈り、証しをしていきましょう。