流れのほとり⑧<マルチン・ルター>(By A Stream of Water)
10月31日は宗教改革記念日です。1517年10月31日、マルチン・ルターがドイツのヴィテンベルグ市の教会の門に95カ条の論題を書いた紙を張り、教皇(ローマ法王)の免罪符の販売などに反対したことから「宗教改革」は始まりました。簡単に言うと、これがローマ・カトリック教会から離れてプロテスタント(カトリック教会にプロテスト(抗議)した人たち、プロテスタント、離れた)教会が出来た始まりです。
<プロテスタントとカトリックの違い>
上水めぐみキリスト教会はカトリックですか、プロテスタントですか?と良く尋ねられます。私たちはプロテスタント教会です。
プロテスタントとカトリックはどう違うのでしょうか?
表面的に見ると、プロテスタントはとにかくよく聖書を読み、聖書を学ぶこと、儀式や形式にこだわることが少ないこと、プロテスタ
ントの牧師や伝道師は、カトリックの神父や修道女のように独身でなくてもよいこと、主日礼拝や祈祷会、家庭集会など信者の自主的
な集会が多い点かもしれません。
<キリスト教の歴史>
違いを知るために簡単に歴史を遡ってみましょう。
主イエス・キリストの弟子たちが聖書の福音を宣教して行き、教会はその当時世界を統治していたローマ帝国全体にまで拡がって行きました。ローマ帝国は初め、キリスト教徒を激しく迫害しましたが、AD312年ローマ皇帝コンスタンティヌスがクリスチャンになったことにより状況が激変しました。
今まで邪教であったキリスト教が皇帝の信じる宗教になり、国家の宗教になったからです。政治と宗教が一致したのです。
その後ローマ教会が力を持ち、すべての教会を支配するようになったのです。
何でも同じですが、強い権力を持ち、多大のお金を所有すると、腐敗や争いが起こります。信仰に不純なものが混じってきます。
このようにしてマルチン・ルターの属していたローマ・カトリック教会も聖書の教えではない様々な教えを付け加えていきました。その中の一つに私たちが教科書で習う免罪符の販売があります。人間の罪が赦されるのも金次第と言うことにまで堕落してしまったのです。
<ルターの宗教改革>
マルチン・ルターはこのような聖書から外れた教えを教えるカトリック教会にカトリック教会の一修道僧として疑問に思ったことを95カ条に書いてヴィテンベルグの教会の門に貼ったのです。
ルターが主張したことは簡単にまとめると3つのことです。
・その当時のローマ教会は免罪符を買うことによってその人の罪は赦される、と教えました。
ルターは「そ~りゃひどい」と考え、聖書の教えの通り、人間はただキリストを信じる信仰によってのみ罪から救われることを主張しました。これをラテン語でソーラ・フィデと言います。
・また、ローマ教会は信者がお金を捧げ、教会の働きや慈善事業を熱心にするならば、その行為によって救われる、とも教えました。
しかし、ルターは聖書によれば、救いは、人間の行いによるのではなく、ただ神の恵みによる、と教えました。これをラテン語でソーラ・グラチェと言います。
・これらの教えは、他の書物や伝統によるのではなく、ただ聖書のことば、66巻からなる聖書(カトリックの聖書は66巻プラス外
典 アポクリファが付いている)によるのである、とルターは主張しました。これをラテン語でソーラ・スクリプチュラと言います。
後にルターは聖書をドイツ語に翻訳し、だれでもが聖書を読めるようにしました。多くのドイツ人はこのルター訳の聖書を今も使っています。
マルチン・ルターはこの主張によりカトリック教会から迫害されましたが、彼はその信仰を曲げずに生きました。
また、彼の教えに従う信仰者が増えて行って、プロテスタント教会が出来たのです。
プロテスタント教会は現在もこの3つの点を大切にしています。つまり、信仰のみ、恵みのみ、聖書のみの三つです。
カトリック教会は、ルター後自分たちの行きすぎた点を改善しました。
しかし、現在もローマ教皇を頂点とする組織になっています。ヴァチカンはカトリックの国となっており、政治と深いつながりを持っています。