日本福音キリスト教会連合

流れのほとりNO.17

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

ハドソン・テーラーは19世紀に中国で宣教したイギリス人医師です。彼の時代は、イギリスから上海まで船で行くのに半年近くかかったようです。コミュニケーションが困難でした。彼は中国で、英国の宣教団本部の指示に従おうとしましたが、指示を受け取るまでの時間のずれに悩みました。また、中国の事情が分からないで出される見当違いの指示にも悩まされました。銀行を通しての送金もしばしば困難をきたしました。

様々な困難を経験して、彼は英国に戻り、自分に与えられた神からのヴィジョンに従って新しい宣教団体を創設しました。1865年のことです。名前をチャイナ・インランド・ミッション(China Inland Mission:略CIM)としました。CIMは驚きの革新的な宣教団体でした。

・未開地、未伝道地に宣教するという新しさがありました。

インランドとは、内陸部のことです。その当時、殆どの外国人(宣教師たちを含む)は上海や香港など中国の沿岸部で仕事をしていました。テーラーは沿岸地域を離れ、内陸部に入って宣教をすることにしたのです。中国には11の州がありました。各州に2人ずつ宣教師を送るために、彼は22人の新しい宣教師を募集しました。

・CIMは中国で福音を伝える神の召命を受けている人ならだれでも(男でも女でも)宣教師として受け入れました。

それまでは牧師や伝道師になる按手礼を受けた人でなければ宣教師になれませんでした。ですから男性のみ。女性は妻であって宣教師ではありませんでした。しかし、テ―ラ―は独身女性を宣教師として受け入れたのです。

・教派にもこだわりませんでした。

CIMには英国国教会、ルーテル教会、長老教会、バプテスト教会と様々な教派教会に属する人が宣教師になりました。

・現地主義に徹しました。

本部を英国に置くのではなく、中国に置き、現地の必要にあった宣教をするように働きました。

・中国文化を尊重した。

中国語を話し、読み、書くことができるように時間をかけて学び、中国式の家に住み、中国服を着用しました。男性は辮髪にしました。

・献金のアピールをしない。

宣教集会で献金のアピールをしてお金を集めて宣教の資金とするというやり方が普通でしたが、テ―ラ―は絶対に集会などで献金を要請しないという原則にしました。彼は、神のみこころに従った働きの必要は、神の方法で神が必要を満たしてくださる、と言う信仰を強調したのです。

このような新しいラディカルな宣教方針にその当時の多くの教会が反発し、反対しました。しかし、テ―ラ―はこれを生涯貫き通しました。また、CIMはこの方針を変えませんでした。

1949年から、共産中国によって1400人以上のCIMの宣教師は国外退去させられました。1952年に最後の二人が内陸奥地から香港に出るまで、宣教師たちの必要は満たされました。

中国から止むなく撤退した宣教師たちは中国の周辺諸国にいる華僑を足がかりに宣教を続け、名前をOMFと変えました。本部は上海からシンガポールに移しました。

OMFはCIMの宣教方針を概ね継承しています。特に献金のアピールをしないで与えられた献金の範囲で宣教活動を156年間続けていることは、日本の多くのクリスチャン達にとって驚きのようです。

私はOMFの宣教師として29年間働きました。この間、もちろん献金のアピールをしたことはありません。しかし、神様は神様の方法で私たちに必要なお金と物を、ある時は必要をはるかに超えるほど与えてくださいました。

私はOMFを定年退職後も同じようにノン・アピールで生きています。

「金銭を愛することが、あらゆる種類の悪の一つの根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」(第1テモテ6:10)と言う聖書のことばは傾聴に値する言葉です。

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