流れのほとり NO.29
金木犀の香りが漂い、あれっ、どこから匂って来るのだろう、と思わず振り返り捜してしまいます。匂いが強く、かなり遠くからでも匂おってきます。オレンジ色の花はかわいいですが、それ程人目を引きつけるものではありません。香りは、秋の到来を優しく、風に乗って告げてくれます。春は沈丁花がその役目を果たし、秋は金木犀、なんと素晴らしい四季の句読点でしょうか。
人間の嗅覚と言うのは非常に敏感です。このように草花の匂いや臭いを嗅ぎ分けます。草花だけではありません。美味しそうな料理の匂いを嗅ぐと、お腹が空いてくるだけではなく、何の料理かも想像がつきます。また、逆に、食品が腐っている、悪くなりかけているのも嗅ぎ分けることが出来るときがあります。
人によって好きな匂い、嫌いな匂いがあります。ですから様々な芳香の香水があります。
東南アジアにある果物でドリアンと言う果物があります。大きく、高い木に実がぶら下がって成ります。形はラグビーボールより少し大きくて、色は黄色っぽい緑色、表面に堅いトゲが沢山生えています。このドリアンは果物の王様と呼ばれています。匂いは強烈です。好きな人は匂い、と言いますが、嫌いな人は悪臭と言い、この臭いを嗅いだだけで頭が痛くなります。堅い皮を大きな包丁などを使って割り開けると、中には黄白っぽい柔らかい実が三つひと組になって並んでいます。その味は好きな人にはクリームチーズとチョコレートを合わせたような甘く、柔らかくて美味しく、匂いは一度食べると一生忘れられないような芳しいものです。
私の友人は庭にドリアンの木を植えていましたが、根の部分をトタンで丸くカバーしていました。何のためにカバーを付けているのか、尋ねたら、ドリアンが熟して高い木の上から落ちた時に音がするようにして、落ちたら直ぐに集めないと盗まれる、と言うのです。ドリアンの匂いが漂ってくると、ドリアンシーズン到来、と言うことで市場は活気付きます。
人間よりも優れた、というか、敏感な嗅覚を持っている動物が沢山います。先日、テレビで空港の検疫所で活躍する犬の放送がありました。可愛い普通サイズの犬が係官に連れられて、空港で出てきた預け物の荷物を一つずつ嗅いで回ります。その中、ぴょんと荷物に足を掛けると係官がその荷物に札を付けます。札が付いた荷物は検査所で荷物を開かなければなりません。すると、持ち込むことのできない食品や薬などが見つかり、没収されます。なんと賢い犬なんだろう、と感心しました。
聖書は匂いについてこのように教えています。
「愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。」(エペソ5:2)
聖書は私たちが愛のうちを歩むことを命令しています。その愛は、普通の愛ではなくて、キリストが示され、実行された愛です。キリストは罪のないお方でしたが、私たちの罪を背負って十字架にかかり死にました。これは私たちの罪を贖う神へのいけにえのささげ物でした。このような自己犠牲の愛による人生から放たれる香りは、神様への芳ばしい香りとなります。
また、別の箇所では、
「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳ばしいキリストの香りなのです。滅びる人々にとっては、死から出て死に至らされる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。」(Ⅱコリント2:15~16)とあります。
イエス・キリストを信じて救いに与かっているクリスチャンたちは香りになった、と言うのです。福音という香りを避ける人にとっては,それは死に至らせる香りとなり、クリスチャンの香りを嗅いで、よい匂いだと思ってそれを求める人にとってはいのちに至らせる香り、となる、ということです。