流れのほとりNO.32
<サンマがいなくなった!>
秋に食べるのに「ふうゆ柿」って変だ、と子供の時に思いました。中学生になって英語を習うと、秋に食べるのに「サンマ」(サマー:Summer)とは?とふざけました。その秋の味覚「さんま」がこの何年も不漁なのだそうです。原因が分からないそうです。海水温が高いからだとか、さんまの回遊ルートが変わって日本近海にこなくなったのだとか、中国や韓国の漁船が獲ってしまっていないからだとか、いろいろと理由が挙げられますが、本当のところは分からないのだそうです。
<ニシンはどこだ、そー、乱獲だ>
魚が原因も分からずに急にいなくなった、と聞くと思いだすのはニシンです。昭和の初めまで、つまり1920年代まで余市、小樽や留萌など北海道の日本海沿岸の海岸はニシン漁で栄えました。現在でもその繁栄の証しとして鰊御殿という豪華な建物が残っていて観光名所になっているものもあります。ニシン漁を歌ったソーラン節は今でも広く歌われ、親しまれています。それを現代化してYOSAKOIソーラン祭りというのが札幌の大通公園を中心に行われすごい人気になっています。その鰊もある年から捕れなくなり、北海道の海から全く姿を消してしまいました。さんまもそうなるのでしょうか?
<どうしていなくなったのでしょうか?>
このような魚や動物が絶滅の危惧にさらされていることが問題にされています。絶滅危惧種ということで特別に保護され、人間が努力して繁殖をしている種類もあります。ある種の動物や植物が少なくなり、絶滅に直面する最大の原因は人間にあるように感じます。人間が自分の楽しみや便利のために自然を破壊したり、動物を捕獲して食したり、植物を大量に採取したりして動物や植物が死滅し、消滅していくケースが多いのではないでしょうか。人間が関わらない世界では、動物はバランスよく共生存しているのではないでしょうか?例えば、ライオンは他の小動物を餌にしますが、食べすぎません。無駄に、大量に殺したりしません。自分の食料として必要なだけ獲るのです。ところが人間はマグロが美味しいと言うと、マグロを乱獲します。ある種の熱帯魚が美しい、というと乱獲しますから熱帯の海にその魚がいなくなります。このように人間は自分の欲のために必要以上に捕りますからある種の動物や植物が絶滅していなくなるのではないでしょうか?自然の中の動物には肥満はありませんが、人間やペットは肥満の問題が深刻です。
<はじめは非常に良かった>
聖書は創世記に初めに神が天地万物を創造された時、創造されたものはすべて非常に良かった、と記しています。しかし、人間が神からの使命のように正しく管理せず、約束を破り、従わず、自分中心に考え、行動した時にその「非常に良い」ものが壊れ、歪められてしまいました。
新約聖書のヤコブの手紙は私たちが日常生活でしばしば直面することについて教えています。ある意味で非常に日常生活に役立つ具体的な教えが沢山書かれています。その一つ1章14節、15節に、
傾聴に値することばではないでしょうか。
食欲に引かれて健康を害し、性欲に引かれて男女、夫婦関係が乱れ、金銭欲に引かれて犯罪を犯し、名誉欲に引かれて人間関係を壊す人が多いのではないでしょうか?
と、ありますように、神を認めずに自分中心の心を持って自分の欲に引かれて生きている私たちは罪人です。イエス・キリストはそのような私たちを罪から救うためにこの世界に来られたのです。