流れのほとり NO.14
《聖書を読んでみよう》
聖書、バイブルは、とても分厚い本です。聖書を読みなさい、と牧師や熱心なクリスチャンたちは勧めます。しかし、分厚いのでなかなか読み始められない人が多いようです。それでも聖書を買って、読んでみようとページを開いてみます。次のハードルは、難しい、日ごろ使わない言葉が出て来ることです。
先ず、目次を見てみると、創世記、出エジプト記と見ると、最初はこの世の始まりについて書いてあるのだな、エジプトからの脱出について書いてあるのだな、と想像できます。しかし、申命記とか士師記と来ると、何のことか分かりません。
<難しくて分からないよ>
士師(しし)記とは、英語の聖書ではJudges(ジャッジズ)となっています。英語でジャッジと言えば審判のことです。野球の審判、サッカーのジャッジ、と日常に出てくる言葉ですから何となく分かりそうです。そこで士師記を開いて見ると、野球の審判員やサッカーのジャッジは出てきません。出て来るのは、ヨシュアと言う人に続いて、カナン(パレスチナ)の地を統治したリーダーたちが出て来ます。その人たちを聖書は「さばきつかさ」と書いています。つまり士師とは「さばきつかさ」なのです。こう言われても、「さばきつかさ」って何ですか?と聞かれてしまいます。カナンの地を統治した人ですから、分かり易く言うと戦国時代の「将軍」のような人です。
<まだある難しい言葉>
「しし」という言葉が出てきましたから、同じ発音の「獅子」について書きます。聖書が難しい、というのは日頃使わない言葉が使われている事にあるかもしれません。旧約聖書にはよく「獅子」と言う言葉が出て来ます。ところが今の普通の人は「獅子」とは何か、分からない人が多いのです。音読されて「しし」なんて聞いたら、トイレに子供を連れて行ってしまうかもしれません。「獅子」とは、ライオンのことです。何でライオンと言う言葉を使わなかったのか私には分かりませんが、理解しにくい言葉です。「天幕」と言う言葉も良く出て来ますが、それがどんなものか頭に思い浮かべるのが難しいのではないでしょうか?天ぷら屋さんのことかな、と思ってしまいそうです。私は「テント」と訳すか、大きなテントと訳したら分かり易いのではないか、と思っています。
もう一つ、旧約聖書で読みにくい書名は箴言です。これは、かんげんとは読まず、「しんげん」と読みます。この言葉も、教養のある人は使えるでしょうが、普通の人は使わない言葉ではないでしょうか。むしろ格言とか教訓言としたら分かり易いのではないでしょうか。
<聖書講解説教の大切さ>
確かに、聖書を日本語に訳すのは大変なことです。聖書の原語をよく読み、理解出来る学者の先生方しか訳すことはできません。分かりにくいから、と言って勝手に分かり易く訳している「聖書もどき」が出版されていますが、そのような物は聖書の原意から離れていて、聖書ではなくなってしまっています。聖書として使うことも、読むこともできません。
それではどうしたらよいのでしょうか?
それは礼拝説教で聖書講解説教を忠実にする教会の礼拝に出席することを勧めます。どこの教会でも良いわけではありません。日本には、聖書の言葉を説き明かすのではなくて、キリスト教風の面白可笑しい教訓話やキリスト教的なヒューマニズムに基づく考えを説教して、会衆を楽しませたり、洗脳する教会が多くあるからです。
使徒の時代にギリシャのベレアという町にあった教会のクリスチャンたちは、使徒パウロの説教を聴いて、「素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。」(使徒の働き17:11)そうです。私たちも牧師たちの話を鵜呑みにせず、聖書を調べて、聖書を正しく理解して、聖書の言葉に従って生きていきたいものです。