流れのほとり NO.16
<春がやって来た>
私が大学受験に備えていた頃に、旺文社の大学受験講座と言うラジオ番組がありました。ラジオ番組?そう、古~い話です。番組の一つに英文法の講座があり、西尾と言うユーモアのある先生が教えておられました。開講一番に“Spring has come !” という英文を「バネを持ってこい!」と訳した奴がいる、と放送して笑いを取りました。そしておもむろに、spring は確かにバネと言う意味もあるが、ここでは春のことだ。hasは持つと言う意味はあるが、ここではhas come と現在完了形になっているのだから、「やって来た」と言う意味で、この文章は「春がやって来た」ということだ、と話しました。ラジオの前で思わず吹き出したのを忘れられません。実は、私はもっとひどい英語教育を受けていました。中学2年生の英作文の先生はメチャクチャな先生で、いきなり君らは、「ファーザー、マザー、浅草 ゴー、イート、オックス、テンマンビフォー」って分かるか?と問いかけるのです。チンプンカンプン誰も何を言っているのか分かりません。すると先生は、英語を分かっていない奴が「お父さんとお母さんと浅草に行って牛肉を十人前食べた。」を英作文で書いたのだ、と教えてくれました。こんな環境で育ちましたので、後に英語で大分苦労しました。
<春の到来を知る>
春がやって来たことをどのようにして知ることができるでしょうか?
木の芽を見ると分かります。玉川上水沿いを歩いていると流れを包むように高い木々が繁っています。秋にはその木々の葉は落ち、木々の枝が天空をステンドグラスのようにフレームを付けます。葉が落ち、流れのほとりは急に明るくなります。1月に入ると、寒風に揺れる木々の枝にブツブツが出て来ます。木の芽が膨らんで来るのです。流れのほとりを散策するたびに上を見上げ、木々の芽の膨らみ具合を確かめ、春が来るのを楽しみにします。
2月の中頃から、鴨やアヒルが出て来て泳ぎ始めました。草草の緑色が鮮やかになって来て、量も増えて来ました。下旬には遂に小さな木々の芽が萌え始めました。山吹の黄色いつぼみが膨らんできて3月を迎えました。小鳥の数が増えたのでしょうか?それとも声が大きくなったのでしょうか?賑やかに歌い、枝から枝へと飛び回っています。3月の終わり頃になったらもっと大きな鳥たちも来るはずです。アオサギは流れの中にファッションモデルのように立ちます。大サギは高い木の上にいて、一向に降りて来ません。散歩に同行している妻が「あっ、鷺だ!」と言う前に私は「オレオレ」と言って笑います。
<時のしるしを見分ける>
ある時、イエス・キリストの事を試そうとして学者や宗教家たちがイエスに言いました。「天からのしるしを見せてほしい」と。彼らはイエスが本当に神様だったら、パッと奇跡を行って自分を神だと証明してみろよ、と思ったのでしょう。
するとイエスは、
「あなたがたは『夕焼けだから晴れる』と言い、『朝には朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることができないのですか。」(マタイ16:2~3)と答えました。
何千年と言う時間をかけて様々なしるしが示され、それらは旧約聖書に記されているのに、彼らはそれらのしるしを通して神様の時を見分けません。
そして「今は恵みの時、今は救いの日です。」(第2コリント6:2)
私たちは終わりの時のしるしを見分けて、今、神の恵みによって救いを受けようではないですか。