日本福音キリスト教会連合

「10日間合宿」使徒の働き1:13~26

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

 

今日は10月4日です。皆さんは9月24日から今迄の10日間何をして来られましたか?丁度連休が終わってから再び仕事が始まり、忙しい毎日だったでしょうか。

イエス様は昇天される前に弟子たちに「エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」と命じられていました。そこで彼らはオリーブ山でイエス様の昇天の姿を見た後、エルサレムに戻ってきました。

<約束を待つ日々>

「父の約束」を待っている間の10日間、弟子たちは何をしていたのでしょうか?

  • 彼らは一緒に集まっていました。一緒の家に泊まっていた、10日間合宿です。その家の屋上の部屋に集まりました。集まったのは、11弟子と女性たちとイエスの母マリア、また、イエスの兄弟たちでした。
  • 合宿して何をしていたのでしょうか?皆で心を一つにして祈っていました。

ここに私たちクリスチャンのあるべき姿があります。まず、クリスチャンたちは弟子たちと同じように集まって主にある交わりをすることが大切です。この頃クリスチャンたちは、交わりと言うとクリスチャンではない人たちと同じような楽しいおしゃべりやゲームや飲み食いをする交わりを求めがちのようです。しかし、私たちクリスチャンの「交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」(ヨハネ第一1:3)世間話や噂話で盛り上がるのではなく、クリスチャンたちは互いにイエス様との交わりでどのような経験をしたかを分かち合う交わりをします。たとえば今朝、聖書を開いて読んでいたら、この聖句を通してこのようなことを教えられたとか、励まされたとか、私の間違いを示されたとか、そういった互いに神様の恵みを分かち合う交わりがクリスチャンの交わりです。キリストや神様抜きの交わりは、この世の人々の交わりと同じで神様が求めておられる交わりではありません。このようにクリスチャンたちが交わっていると、自然にお互いのことを祈り合うように導かれていきます。弟子たちもそうでした。14節にありますように、弟子たちは「ともに」「いつも」「心を一つにして」祈ったのです。一人で個人的に祈るのも大切ですが、教会で、又、クリスチャンの集まりで私たちはともに」祈り合うことが大切です。

<ともに>

ここで「ともに」祈り合った人たちは誰でしたでしょうか?ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、シモン、ヤコブの子ユダの11人。その他に女たちと言われている女性たちは多分イエス様が墓に葬られた後、週の初めの日、日曜日にそのお墓に行ったマグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母のマリア、スザンナたちのことでしょう。その女性たちに加えてイエスの母マリアとイエスの兄弟たちも一緒にいました。つまり弟子たちといつもイエス様についていた女性たちとイエス様の家族が一緒に集まっていたのです。このように読んでしまうと分かりませんが、このような弟子たちと女性たちと家族のメンバーが一緒に集まることが出来たのはこの当時の社会では驚くべきことでした。ユダヤ人社会では男尊女卑で、女性や家族が一緒に集まり祈りを共にすることはなかったようです。十字架とよみがえりを信じるクリスチャンたちの新しい姿です。日本の教会では古い日本の風習や考え方が影響していて、教会の中で女性が低く扱われたりすることが残っていることがありますから気をつけなければなりません。

<いつも>

ここに集まっていた弟子たちは、朝起きた時に祈る、早天祈祷会だけではなく、また、たまに1回きり祈るのでもありません。「いつも」祈っていたのです。毎日、何回も継続して祈っていました。祈りは忍耐を持って、継続して祈ることが大切です。私たちの家族の救いのために1回祈ったらもう充分ではないのです。「いつも」繰り返し祈り続けて行くのです。祈っても神様は答えて下さらないからもう祈らない、と言うのではダメです。信仰を持って神様の答えを待って、忍耐強く祈ることです。私は上水めぐみキリスト教会に神様がこの1年間に新来者を10人以上導いてくださるように祈り続けています。今のところ誰も来ていません。もう祈るのを止めるべきでしょうか。いや、そうではないのです。神様に期待し、神様が働いて下さり、神様の時に、新しい人がこの教会の門を叩いてくださるように信仰を持って祈り続けています。

<ひとつ>

また、私たちは「心を一つにして」祈ることが大切です。「心を一つにする」ということは具体的に言うとどういうことでしょうか?ピリピ書2:1~4にパウロはこのことを次のように書いています。

 

「キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」

 

このみことばから「心を一つにする」には

私たちとイエス様との関係が大切です。私たちに

  • キリストにある励ましと愛の慰めがあり
  • 聖霊による交わりと愛とあわれみがあること、

私たちが神様と親しい交わりの中にあることが第一です。

次に、私たちクリスチャン同士

  • 同じ思いになり、
  • 同じ愛の心を持ち
  • 心を合わせることが大切であることが分かります。

このことを否定的に言うと、

  • 何事も利己的な思いや虚栄からしない。
  • その上、自分自身がへりくだって(謙遜になって)
  • 他の人を自分よりすぐれている者と受け止め、
  • いつも自分のことばかりではなく、
  • 他の人のことを顧みる思いを持つことです。

このような神様との関係と他のクリスチャンとの関係を持って兄弟姉妹とともに祈り合って行くのが「心を一つにして祈る」ということです。

<イスカリオテのユダの補充>

さて、次に弟子たちがこの10日間合宿で行ったことは、聖書のみことばを読み、その教えに聞き従ったことです。

その頃、クリスチャンの数は120名ほどになりました。彼らが集まっていた時、ペテロは立ちあがってクリスチャン達に話しました。それは12弟子の一人としてイエス様に付き従ってきたユダが裏切ったことについてです。なぜこのようなことが起こったのだろうと弟子たちは思っていました。その疑問に対してペテロははっきりと「ユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。」(16)と話しました。また、20節の終わりに書かれていますように、旧約聖書には「彼の務めは、他の人が取るように。」と預言されていることもペテロは語り、教えました。ユダに代わる弟子,使徒を選ぶように聖書は教えていることもクリスチャン達に伝えました。聖書によると12弟子になる人はどんな人でなければならないのでしょうか?

  • その人は「主イエスが弟子たちと一緒に生活をしておられた間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まってイエス様の昇天までの間、いつも他の11人弟子たちと行動を共にしていた人」(21)です。
  • その人は「イエスの復活の証人」でなければならない。つまり、よみがえられたイエス様とお会いした人です。も

この条件にあった人は、バルサバさん、この人は国際的な人だったのでしょう。ラテン語の名前ではユストと言い、ギリシャ語の名前はヨセフと名前が3つありました。この人とマッティアさんの二人でした。そこで旧約聖書の時代にユダヤ人が物事を決める時に使った方法、祈りとくじを引くことによって決めることにしました。まず彼らは真剣に祈りました。なんと祈ったでしょうか?「すべての人の心をご存知である主よ。この二人の中、あなたがお選びになった一人をお示しください。」と祈りました。弟子たちは、自分たちの願いや好みではなく、あくまでも神様がユダの代わりにもう一人の弟子を選んで下さるように願っていました。なぜなら12弟子、12使徒は人間が選び決める人ではなく、神様が選ばれる人が成るのですから。

なぜ12人の使徒が重要なのでしょうか?それは彼らが旧約時代の神様によって選ばれた12部族を受け継いでいる新約聖書時代の人たち、12使徒なのです。神様の宣教の働きは、旧約聖書の時代から続いて来て、イエス様によって救いが完成した福音を全世界に宣べ伝える形に発展しました。その福音を携えていく人たちは旧約聖書の時代の12部族に代わる12使徒たちになったのです。

旧約時代の選ぶ方法、くじによって選ばれた新しい使徒はマッティアと決まりました。

〈まとめ〉

神様はこのことを通して私たちに何を教えておられるのでしょうか?

  • 私たちはいつも聖書を調べ、そのみことばに聞き従って行くことが大切だ、ということです。どんなに時代が変わっても私たちクリスチャンは聖書のみことばに忠実に聞き従って行きます。また、聖書の約束のことばは必ず成就します。
  • 神様は12人の使徒を特別に選び立てました。その使徒たちはよみがえられたイエス様とお会いした人々の中から選ばれました。そしてこの12人と後で特別によみがえられた主イエス様とお会いしたパウロだけが使徒です。それ以外の人は使徒ではありません。使徒たちは主イエスのよみがえりの証人として特別に選ばれ、立てられた人たちです。
  • 祈りと聖書とその旧約聖書で教えられている救い主による救いがイエス・キリストによって成就され、その福音を宣教する12使徒が整えられることが、父なる神様の約束を受けるための必要な準備でした。ある意味で、私たちも祈りと聖書によって整えられ、教会の霊的指導者である牧師を迎える準備をきちんとすることが大切だと教えられていると理解しても良いでしょう。

私たちも新しい牧師が与えられますように、皆で一緒に、心を一つにして、いつも祈って行きましょう。聖書のみことばに忠実に聞き従って福音に生き、福音を伝えながら神様の答えを待って行きましょう。お祈りしましょう。

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