日本福音キリスト教会連合

歴史を支配する主を恐れる

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

使徒の働き3章17~26節

 「さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。モーセはこう言いました。『あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。彼があなたがたに告げることすべてに聞き従わなければならない。その預言者に聞き従わない者はだれでも、自分の民から断ち切られる。』また、サムエルをはじめ、彼に続いて語った預言者たちもみな、今の時について告げ知らせました。あなたがたは預言者たちの子であり、契約の子です。この契約は、神がアブラハムに『あなたの子孫によって、地のすべての民族は祝福を受けるようになる』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたものです。
神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。」聖書 新改訳2017

「美しの門」で物乞いをしていた人の足が強められ、癒されました。それを見て驚いた人々は、ペテロとヨハネの所に集まってきました。ペテロは彼らに説教をしました。イエス様を十字架につけたのは、ユダヤ人だけではなく、あなた方なのだ。いや、全ての人間、私たち一人一人がイエス様を十字架につけたのだ、と私たちの罪について語りました。しかし、17節からペテロはイエス様が歴史を支配しておられる方、歴史の主権者である神様だ、と言うことを強調し、話します。

1.なぜイエス・キリストは十字架に架けられたのか?

なぜユダヤ人たちはイエス・キリストを十字架につけて殺すと言うようなことをしたのでしょうか?
なぜ日本人の多くの人は「イエス・キリスト?関係ないよ。」というのでしょうか?
それは「無知だからです。」(17)とペテロは言いました。
無知?何について知らないでいるのでしょうか?

神様について無知だ、と言っているのです。神様が自己紹介しておられるのに、その声を聞かず、まことの神様のことを知らないでいる無知です。
ユダヤ人たちは、毎週、ユダヤ教の会堂に集まり、旧約聖書の言葉を聞いていました。しかし、その言葉で紹介され、教えられている神様の事、神様のご計画について理解していませんでした。馬耳東風でした。

多くの日本人も同様です。今から160年前にプロテスタントの宣教師が日本に来ました。苦労して日本語に聖書を訳しました。多くの人が聖書を買い、聖書を読みました。しかし聖書が教えている神様の事を理解しません。日本人は、聖書から引用して新しいことわざを作ったりしました。例えば、「目からうろこ」とか「豚に真珠」「はじめにXXありき」などがよく使われます。しかし、神様が教えておられる中心的な教えには関心がありません。中心的な教えを自分に都合のよいようにすり替えてしまっています。クリスマスもそうですが、先週のバレンタインデーも同じです。自分の利益になるように教えを変えて聞いていますから、聖書が真の神様はどのようなお方か、と教えている神様の自己紹介を聞けません。自分勝手に神様を頭に描いているのです。まことの神様について「無知」のままです。

まことの神様は、歴史の中で多くの預言者を立てて、神様のご計画を人間に分かるように伝えています。アダムとイヴが神様に対して罪を犯して自分中心に陥って行った時、直ぐに神様は人間を罪から救うために救い主を遣わす、と預言しました。神様は人間を見捨てるようなお方ではないことを伝えています。人間を罪から救う救い主を遣わす、と言う「神様の救いのご計画」を繰り返し預言し、人間に伝えているのです。ところがユダヤ人をはじめ私たち人間はその神様の御声を聞こうとしなかったし、今もしないのです。その救い主こそイエス・キリストなのです、とペテロは語りました。(18)

2.歴史を支配し、「救いのご計画」を導かれる神様のご計画はどのようなものでしょうか?

①19節の終わりにありますように、それは私たちの罪が「ぬぐい去られる」ことです。「ぬぐい去る」と言うことばは、ヨハネの黙示録21:4に「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐいとってくださる。」と言う所でも使われている言葉です。私たちの罪は完全に消し去られ、神様は私たちの罪を思い出すことはありません。

主の御前から回復の時(20)が来ます。「回復の時」とは、神様が与えてくださる安らぎ、平安、神様との真の交わりが回復する、ということです。

③主はイエス・キリストを私たちの救い主として遣わしてくださいます。このイエス・キリストは、「神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して」(21)私たちに語られた方です。このお方は、今は昇天して天に留まっておられますが、「万物が改まる時」(21)つまり終わりの日に新しい天と地が来る時まで天に留まっておられます。

ペテロが語った「イエス・キリストによる罪の赦し」は、このように私たちの罪がイエス様の十字架とよみがえりによって完全にぬぐい去られるだけではなく、私たちの霊的な回復と終わりの時になされる全世界の回復を意味するものです。これが歴史の中で神様によって預言されていた「罪の赦し」なのです。

3.そこでペテロは3人の人を挙げて、「神様の救いのご計画」について語りました。

モーセ

先ずモーセはどのようにこのことを預言していたでしょうか?

22節を見てください。「あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。」と預言しました。「モーセのような一人の預言者」とはイエス・キリストのことです。神様は「モーセのような預言者」としてイエス・キリストを遣わされたのです。そしてこの預言者、イエス・キリストに「聞き従わない者はだれでも、自分の民から断ち切られる。」(22~23)救い主イエス・キリストを信じない者は裁かれる、と言ったのです。

モーセはどんな人でしたでしょうか?出エジプト記を読むと分かります。イスラエルの民はエジプトで奴隷として苦しんでいました。彼らの奴隷から解放してください、と言う祈りの声は神様にまで届きました。そこで神様はモーセを選び、神様の働きのために立てました。モーセはイスラエル人たちのリーダーとしてエジプトの王様ファラオと交渉しましたが、ファラオはイスラエル人たちを解放しませんでした。最後に神様は天使を送り、エジプト人の全ての初子を殺すが、イスラエル人のいのちは守ると言う奇蹟を行い、モーセの指導のもとに全てのイスラエル人をエジプトから脱出させました。モーセは神様がイスラエル人たちを奴隷から解放し、自由の民とするために用いられた人です。

救い主イエス・キリストは私たちを罪の奴隷から解放し、自由の身にしました。この意味で、モーセは主イエス・キリストを示す救い主の前触れ、「型」なのです。その上、神様はモーセを通して「十戒」を与え、イスラエルの民は契約の民となりました。主イエス・キリストは私たちに言われました。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約です。」私たちは主の十字架上で流された血によって、主の新しい契約の民とされたのです。

サムエル

次に、ペテロは、サムエルを挙げました。

「あなたがたは、預言者たちの子であり、契約の子です。」サムエルは神様に用いられ、ダビデを王様として任命した預言者です。神様はダビデ王国を通して預言したのです。救い主は「ダビデの子」、ダビデの子孫として来られる事、又、救い主は私たちを罪から救うだけではなく、私たちの王様として私たちを導き支配するお方であることを示しました。

アブラハム

そして、最後にペテロはアブラハムに言及しました。25節を見てください。「この契約は、神がアブラハムに『あなたの子孫によって、地の全ての民族は祝福を受けるようになる』と言ってあなたがたの父祖たちと結ばれたものです。」このアブラハムと神様が結ばれた契約は創世記12章3節に記されていますが、これが旧約聖書の基盤になる契約です。
このアブラハムに預言し、約束された「あなたの子孫」(25)、「そのしもべ」(26)とは、イエス・キリストのことです。26節に記されていますように、イエス様は「しもべ」として初め「あなたがた」つまりユダヤ人に遣わされたのです。神様はユダヤ人たち一人一人が罪を悔い改めて神様に立ち返り、アブラハムに約束された祝福を受けるようにされたのです。
ところがどうでしょうか。彼らはイエス様を拒絶し、イエス様を異邦人のピラトに引き渡し、イエス様を罵倒し、唾をかけ、鞭打ち、何の罪もないのに、十字架につけて殺してしまいました。

4.悔い改めて神に立ち返りなさい

ペテロは言います。それはユダヤ人一般を言っているのではなく、あなたがた一人一人がそのような罪を犯したのだ、と。

ですから、ペテロは19節にありますように、彼らに言います。生まれつき足の悪い人が癒されたと言うことに驚いている場合ではない、あなたがたは自分の罪、イエス様を十字架につけた罪を知り、「悔い改めて神に立ち返りなさい」と。

そうです。神様がアブラハムと結ばれた契約は、罪を認め、罪を悔い改めるすべての人に有効なのです。この約束は、何と言っているでしょうか?
「あなたの子孫によって、地のすべての民族は祝福をうけるようになる。」と約束されているのです。
地のすべての民族、即ち、すべての人、ユダヤ人だけではなく、日本人も中国人もヨーロッパ人もアフリカ人も、だれにでもこの約束は有効なのです。後にパウロはローマ人への手紙ではっきりと説明していますように、ユダヤ人だけではなく、すべての民族、ユダヤ人も異邦人もイエス様の十字架を信じる信仰によって神様の祝福を受けることができるのです。
しかし、イエス様の十字架を信じるためには、まず私たちが自分の罪を認めなければなりません。悔い改めるとは、自分の罪を悔い改めることだからです。自分が聖い神様の前に罪を犯している者であることを認めなければ悔い改めはあり得ません。
自分の罪を悔い改めるとは、自分が努力をして善い人間になることではありません。宗教的な努力(お参り、喜捨をする、善行を積む、難行苦行をする、など)によって自分を変えることではありません。自分が神様の前に犯してきた罪、神様を神様として拝み、崇め、その教えに聞き従って来なかったことを認め、間違っていたと受け止めて、そのような自分中心の生き方、考え、行動から離れ、方向転換することが悔い改める、と言うことです。
方向転換してどこを向くのでしょうか?主イエス・キリストに向かうのです。主イエス・キリストから目を離さないで生きていくことです。イエス様を中心として考え、思い、イエス様に喜ばれる生き方をすることです。それには聖書に書かれている教えを知り、それに従って行くことです。

聖霊なる神様は、私たちに働き、聖書のことばを理解出来るように理解力を与えてくださいます。ですから私たちが聖書を読むときには、心の中で聖霊の助けを祈り求めて読むのです。
聖霊なる神様は私たちに聖書の言葉を神様のことばとして信じる信仰を与えてくださいます。
聖霊なる神様は私たちに新しいいのちを与えてくださり、そのいのちは成長して行きます。
私たちには気が付きにくいですが、聖霊なる神様は私たちを日々新しく変えてくださり、神様のみこころに従いたい、と言う願いを起こさせてくださいます。このように私たちは聖霊に励まされて信仰生活を前進していくのです。
人間の歴史を支配し、導いておられる主なる神様は、私たち一人一人の人生も導いてくださっています。この歴史を支配し、導いておられる主を恐れて、聖霊に励まされてクリスチャンとして前進して行きましょう。お祈りします。

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