日本福音キリスト教会連合

主にあって一つになる

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

使徒の働き4章31~37節

 

彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。
 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。
使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。聖書 新改訳2017

今年の目標聖句は使徒9:31から「主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった」としました。

私たちは、聖霊の働きをどのように知ることができるのでしょうか?

聖霊の働きはいろいろな形で見ることが出来、体験し、知ることができます。

1.クリスチャンたちが聖霊に満たされると・・・・

第一に、4章31節「神のことばを大胆に語り出し」ました。

これが聖霊の働きの一番顕著な働きです。聖霊なる神様が私たちの内に働くと、神のことば、主イエスの福音を人々に大胆に語ることができるようにしてくださいます。ある人は余り喋るのが得意ではありません。しかし、聖霊はそのような人をも励まし、力を与えて、イエス・キリストのことを他の人に証しすることができるようにしてくださいます。ある人は恥ずかしがり屋で話せない人、ある人は自分は高い教育を受けていないからダメだ、と決めつけている人、などと神様の言葉を他の人に話すのが苦手な人がいます、しかし、聖霊なる神様はそのようなすべての人に働いて、福音を証し出来るようにしてくださいます。聖霊に満たされて話す「神のことば」は、34節によると「主イエスの復活を大きな力をもって証しし」た、とありますから、「主イエスの復活」、よみがえりについて話すことです。皆さんはどう感じておられるか分かりませんが、この頃クリスチャン達は、教会では、先週のようにイースターで主イエスのよみがえりを記念する日は別ですが、「主イエスのよみがえり」について他の人々に、話し、証しすることが少ないようです。私たちは聖霊に満たされて、力を受けて、もっと主イエスのよみがえりについて人々に話していきましょう。なぜなら主イエスがよみがえられたように、私たちクリスチャンも死んでも生きる、よみがえるのですから、よみがえりの希望と言う素晴らしい希望を多くの人に伝えて行きましょう。

第2に、聖霊は福音を聞いた人々に働き、福音を信じ受け入れ、信仰告白に導いてくださいます。

32節に「信じた大勢の人々」と出て来ます。聖霊が下ったペンテコステの日には男の人だけで3千人が信じました。(2:41)4章5節では、ペテロとヨハネが福音を語ったので逮捕されましたが、そのような状況の中でさえ信じる人が大勢出て、五千人ほどがクリスチャンになったのです。私たちはもっと多くの日本人がクリスチャンになってほしいと願っています。イエス様を信じる信仰に導かれるのは、私たちの力ではなく、聖霊なる神様のお働きです。ですから聖霊が私たちを用いて働いてくださり、多くの人々がこの教会に集うようになるように祈って行きましょう。

第3は、聖霊なる神様は、イエス・キリストを信じる人々を一つにします。

32節を見てください。「さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにし」た、とあります。同じことが2章44,46,47節に「信者になった人々はみな一つになって、一切のものを共有し、・・・(46)毎日心を一つにして宮に集まり・・・(47)主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」と書かれています。

一つになる、と言うのは、どういうことでしょうか?

4:32にありますように聖霊なる神様によってクリスチャンの「心と思い」が一つにされる、ということです。別の表現で言えば、神様の愛によって他の人の心と思いが自分の心と思いになる、ということです。このように神様の愛によって一つにされると、

1)クリスチャンたちは、自分たちの必要だけではなく、他のクリスチャンたちの必要に関心を持つようになります。

クリスチャンになってみたら、あの人はお金に困っているとか、あの人は身体が不自由なのだとか、ある人はどうしてよいか分からないで困っているのだとか、他の人の必要が分かるようになります。私たちは一人一人違った能力を持ち、違った必要をもっています。クリスチャンになったら、皆同じで金太郎飴のようになることではなく、一人一人が違った賜物を神様から頂いていることを知る者になります。このように違った者たちが神様の愛によって『心と思い』を一つとされる、と言うことです。

このエルサレムでクリスチャンになった人々は、聖霊の働きにより、

2)神様の愛によって、一つの願いを持つようになりました。それは皆で一緒に共同生活をしようと言うことでした。

その時に、一人一人のクリスチャンたちは自分の持っている所有物を供出して、そのお金で一緒に生活していこうとしたのです。こうすることによって、34節にあるように、このクリスチャン共同体の中には「一人も乏しい者がいな」いようになったのです。これは、旧約聖書の申命記15:4に、神様がイスラエル人たちに相続地として与えた地に入った時に

「主が必ずあなたを祝福されるので、あなたの中には貧しい人がいなくなるであろう。」

と約束されたみことばに彼らが従おうとしたのでしょう。どのようにしてそのようになったか、と言えば、クリスチャンたちは各自、自分の所有物や不動産を売ってお金にしてそれを使徒たちの下に持って来て、皆で共同生活の必要に当てたのです。

2.ここで知らなければならないことは、

1.この行動はクリスチャンたちが神様の愛によって動かされて行ったことである、

と言うことです。聖霊の実である愛に動かされていなければ、人間的な考えに基づいたものとなって長続きしませんし、神様に喜ばれません。ですから、これは自ら進んでされた行動であって他人に強制されたのではありません。自主的に自分の内で神様の愛に動かされて決めて行ったことです。

2.他のクリスチャンたちの必要を知るようになること、また、その必要のために祈り、ささげること

また、クリスチャンになったら皆このように自分の財産を売って教会に献げなければならない、ということではありません。また、財産を売っても、全額を教会に献げなければならない、と言う事でもありません。

そうではなく、神様の愛によってクリスチャンはいつも他のクリスチャンたちの必要を知るようになること、また、その必要のために祈り、ささげることがここで教えられている「心と思いを一つにし」た、ということでしょう。
「他のクリスチャンたち」ということばの中には自分の教会の人たちだけではなく、他の教会、他の国々の教会のクリスチャンたちのことも含まれているのです。以前、加藤兄弟は仕事場でヴェトナム人と一緒だった事がありました。ヴェトナムのクリスチャンたち、特に少数民族のクリスチャンたちは政府から迫害されている部族が多いのです。私たちはこのような人々の必要を知り祈り、機会があるならばそのような人々を助けて行くことが必要だと思います。

地中海の島であるキプロス島からエルサレムにやって来ていたバルナバという人はキプロス島とエルサレムに自分の土地を持っていたのでしょう。エルサレムの不動産を売り、得たお金を使徒たちにつまり教会にささげました。

3.私たちが教会で捧げる献金について

聖書は私たちにこの使徒たちのようにするようにとは命じていません。私たちはクリスチャンになったら皆一緒になって共同生活をしなければならないわけではありません。ですから、このエルサレムのクリスチャンたちのように、私たちは自分の所有物を売り、現金化して献げる必要はありません。

大切なことは、私たちが、
①すべての物は神様の物であることを知ることです。
②神様から与えられた物を感謝して、自ら進んで神様に捧げることです。
③神様の愛に動かされて神様に献金や献品をし、礼拝することです。また、
④私たちはクリスチャンたちの必要を、教会の必要を、社会、世界の必要を知ることです。
⑤その必要を神様が充たしてくださるように信仰を持って熱心に祈ることです。

この献金のことをパウロは第2コリント8章から9章にかけて教えています。第2コリント8:1~5をお読みします。

「さて、兄弟たち、私たちはマケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。彼らの喜びと満ち溢れる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあっても溢れ出て、惜しみなく施す富となりました。私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。そして、私たちの期待以上に神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。」

ここでパウロが教えている事は、マケドニア教会のクリスチャンたちは、すごく貧しい人たちで、その上、迫害されて苦しめられていました。ところがマケドニア教会のクリスチャンたちは神様によって恵まれ、喜びに溢れて、コリント教会に献金を献げるようになったのです。それもパウロに言われて献金するのではなく、自ら進んで、自分たちの力以上に献金をささげたのです。なぜそのような事をしたかと言いますと、マケドニアのクリスチャンたちは他のクリスチャン達の働きを支えると言う恵みに与りたいと言う強い願いがあったからです。

又、第2コリント9:7~8には、次のように教えています。

「一人一人、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めた通りにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださるのです。神はあなたがたに、あらゆる恵みを溢れるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべての事に満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。」

ここでパウロが書いている事は、コリント教会のクリスチャン達もマケドニア教会と同じように伝道の奉仕の働きのために献金を献げたいと願っていました。そこでパウロは、パウロがコリント教会についてから献金を慌てて集めるのではなく、予め集めて用意しておきなさい、と勧めました。その時に献金は①「いやいやするのではありません。」②「また、他の人に強制されてするのでもありません。」③「自分で祈っていくらささげるか決めなさい。」④「献金は神様に喜ばれるものとして喜んで献げなさい。」⑤又、献金を通して「神様が私たちに恵みを溢れるばかりに与えてくださるお方で、」「神様は私たちにすべてものを与えてくださり、満足を与えてくださり、すべての良いことをしてくださるお方で」あることを私たちが知るようになるように、と教えました。私たちも聖書が教えているように正しい態度をもって献金をしましょう。それは、

ⅰすべてのものは神様の物で、神様は私たちに必要な物を与えてくださいます。

ⅱ私たちの必要が満たされるように神様に祈り求めます。

ⅲ私たちは、神様が与えてくださった恵みを喜び、感謝して自ら進んで献金をします。

ⅳいやいやながらとか、強制されて、しょうがないからと思って献金をしてはなりません。献金額は神様に祈って自分の自由意志で決めて、喜んで献げます。

残念なことですが、現在、聖書のこのような教えに従わないで、人間的に考えて献金をするように勧める教会が多くなっています。これは教会がビジネス化して来て献金を単なる資金集めのように考えていることの一つの現れではないか、と私は心配しています。しかし私たちは聖書の教えに忠実に従って行く教会、クリスチャンにならなければなりません。

使徒たち、初代のクリスチャン達のように、私たちも良く祈り、神様の愛によって、聖霊に励まされて、大胆にみことばを宣べ伝え、福音を証しし、多くの人々が信仰に導かれるように祈って行きましょう。また、神様の愛によって私たちが互いの必要を知り、自ら進んで、喜んで献金をささげる者となり、神様の恵みに与る者となりましょう。お祈りしましょう。

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