日本福音キリスト教会連合

差別をしてはいけません。

 
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2022年4月から「上水めぐみキリスト教会」の牧師。 サイクリングやジョギングが趣味。

使徒の働き6章1~7節

そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。
そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、
私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」
この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、
この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。
聖書 新改訳2017

最近、差別の問題が世間で話題になっています。世の中には様々な差別があります。人種差別、男女差別、貧富による差別が私たちの身近で見られることかもしれません。日本人の中には今でも中国人や韓国人を差別する人がまだ多くいます。また日本には男尊女卑が様々な形で社会に残っています。

主イエスはこのような差別をしてはならない、と教え、またご自身の行動で模範を示されました。イエス様は社会的に差別されていた取税人やツアラアトの病気の人、ユダヤ人たちが差別していた異邦人たち,悪霊に憑かれた人と交わり、教え、また、癒しの御業をなさいました。

私たち、クリスチャンは、イエス様の模範に従って他の人を差別してはいけません。クリス

チャンになる前は、自分中心に考え、行動をし、他の人を差別していたかもしれません。ク

リスチャンになったら、聖霊なる神様に「神様、私の差別する思い、偏見に基づく行いを変

えてください」と祈り、神様の力によって差別しない人にして頂くことが大切です。

神様は私たちが差別することをなぜ嫌われるのでしょうか?

真の神様は私たち人間を「神様のかたち」として創造してくださいました。そのことを私は「人間らしく生きる」という小冊子に詳しく書いていますので、後でその個所を読んでみてください。「神様のかたち」として創造された、ということの大切な点の一つは、私たち一人一人がユニークで違った者として創造されたということです。神様には失敗がありません。ですから私たち人間には誰ひとり神様の失敗作はいないのです。私たち一人一人は神様にとって必要な人なのです。その大切で必要な人を私たちが差別するのを神様は悲しまれ、嫌われるのです。

罪とは、私たちが自分中心で考え、行動することです。クリスチャンになると、自分中心の考えや行動をするのではなく、イエス・キリスト中心に考え、日常生活の中で一つ一つのことを聖書の教えに照らして行動していきます。トランプ遊びの51での「全取り換え」みたいに、クリスチャンになると、クリスチャンになる前の自分中心の生活と全く違ったキリスト中心の生活に「全取り換え」をするようになります。例えば、唯一の神様を信じ、礼拝しますから、仏壇を拝まなくなります。神社で拝んだりしません。偶像礼拝をしません。厄年等の厄を信じませんし、恐れません。たたりなども恐れません。悪いことをしたら、霊によって罰が当たるとは考えません。厄除けのお札やお守りなどを貼りませんし、持ちません。天地万物を創造した真の神様だけに拠り頼みます。ですから、これらのことを恐れません。真の神様は私たち一人一人を愛しておられ、私たちを悪から守ってくださいます。いらない人間は一人もいないのです。また、一人一人がユニークだということは違った性格や能力を持って創造され、神様は私たち一人一人を神様の素晴らしさを現わす者として必要としておられるのです。

ところが主イエス・キリストを信じるクリスチャンが増えてくると、サタンはクリスチャンたちの働きを妨害し、攻撃し私たちを神様から離れさせようとしてきます。現在でも教会はしばしばサタンの攻撃を受けています。使徒たちが福音を伝道しているとサドカイ人や祭司長、長老たちがクリスチャンたちを逮捕し、鞭打ち、迫害して伝道させないようにしました。サタンはこのようにクリスチャンではない人を用いて教会の外側から攻撃してきます。それだけではありません。5章で学びましたように、教会の内側から、アナニアとサッピラという夫婦を用いてサタンは教会の中に嘘、偽善を持ちこもうとしました。

今日の箇所は、サタンの攻撃第3弾です。教会の内部から教会を分裂させるような問題が起きたのです。

エルサレムの教会はどんどん信じる人が起こされて教会員数が増えて行きました。素晴らしいことです。人数が増えてくると、教会員の中にはいろいろな違った環境で育った、違った文化を持った人々が加わってきました。エルサレム教会の中には、ヘブル語を喋り、ヘブル語礼拝に出ているユダヤ人とギリシャ語を喋り、ギリシャ語礼拝に出ているユダヤ人がいました。同じユダヤ人でもギリシャ語を話す人たちは、ギリシャ的に考え、行動しました。ヘブル語を話す人たちはヘブル的に考え行動しました。そのようなことから二つのグループのやり方やコミュニケーションの仕方の違いがあったのでしょう。使徒たちの足元に集められた献品、献金等を分配する時に不公平が生じてしまいました。どういうことかと言いますと、ヘブル語を喋っているやもめの人には、ちゃんと物資が配られていたのに、ギリシャ語を喋っているやもめには充分に物資が配られていなかったのです。そこでギリシャ語部の人たちから苦情が出たのです。

どうしてこんなことがクリスチャンたちの間で、教会の中で起こってしまったのでしょうか?

  • 教会員の中にある文化的違いをよく理解していなかったことが原因の一つです。私たちの教会は現在は人数が少ないので、このような問題が起こりにくいかもしれません。しかし、気を緩めてはなりません。サタンはすきを突いて攻撃してきます。文化的違いを砕いて言いますと、年代の違いもそうですし、教育の違い、職業の違いも、育ってきた環境の違いなどが文化的違い、と言えるかもしれません。このような違いから、教会の中で考え方ややり方の違いが出てきたりします。それによって教会員の間に不満が出てくるようにサタンは働くのです。これは二つのグループの間の理解だけではなく、コミュニケーションが欠けていた、ということが出来るかもしれません。
  • 自分中心の考えに流されてしまったことも原因の一つでしょう。私たちはイエス・キリストの十字架によって自己中心の罪から贖われて、赦されました。しかし、この地上で肉体を持って生きて行く間、罪は赦されていますが、古い自己中心の思いに流されてしまう弱さを持っています。ですからイエス様は私たちに「だれでもわたしについて来たいと思うならば、自分を捨て、日々自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい。」(ルカ9:23)と教えておられます。日々、毎日自分の十字架を負ってイエス様に従っていくことが教えられているのです。
  • 「やもめ」への心遣いの欠如にも原因があったでしょう。聖書は繰り返し「やもめ、みなしご(孤児たち)を苦しめてはならない。」(出22:22~)ことを教えています。第1テモテ5:3には「やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。」とあります。やもめやみなしごは、現在流に言うならば社会的弱者と言えるかもしれません。

この問題を12使徒たちはどのように解決したでしょうか?

  • まず教会員全員に集まってもらいました。これは教会の人全員が問題を知り、この問題を自分のこととしてかかわりを持ってもらうためです。つまり教会の問題を一部の人しか知らず、一部の人で取り扱うようにすると、不公平になったり、疑念が生まれる可能性があります。サタンはそのような点を突いてきます。教会はいつも透明性と公平性を保つことが大切です。また、皆が自分の教会としていつも教会のために祈り、関心を持ち、かかわっていくことが大切です。
  • 12使徒たちは、問題を説明しました。第1にギリシャ語部のやもめたちに食料が正しく配分されていないという問題。次に、12使徒たちは自分たちが神様から委ねられた責任がありこの問題の解決に時間とエネルギーを費やせないことを説明しました。それから
  • 解決の方法を提案しました。それは「あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち7人を選びなさい。」(3)使徒たちは自分たちで任命するのではなく、教会員たちにこの問題の解決のために奉仕する人を選ばせました。だれでもよいのではなく、条件がありました。それは「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」です。「御霊と知恵」とは、神様と深く親しい交わりを持っている人ということで、その上、「評判の良い人」とは、教会員の間でも、社会でも、他の人々と良い交わりをしている人という条件です。「この提案を一同はみな喜んで受け入れ」(5)ました。そしてステパノ、ピリピ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオの7人を選びました。その上で、12使徒たちは彼らに手を置いて祈りました。教会の働きが神様の導きにより、神様のみこころ通りになされ、教会に一致が保たれるように祈ってその働きを彼らに委ねたのです。
  • 教会の働きのためにもう一つ大切な点がここで教えられています。それは12使徒たちが、「神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。」(2)と言い、「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(4)といったことです。現在の牧師や伝道者は「使徒」ではありませんが、使徒たちと同じ使命を神様から委ねられています。それは「祈りとみことばの奉仕」です。サタンはしばしばこの点で牧師や伝道者を攻撃します。つまり、牧師や伝道者たちが聖書のみことばを学ぶことをしないように誘惑するのです。また、祈りの時間を余りとらないようにも誘惑します。日本でも多くの牧師たちがこの誘惑にさらされて、様々なキリスト教の活動や集会、委員会などで忙しくしています。その結果、牧師伝道者たちが「神のみことばを後回しにして」活動に明け暮れしているのです。

エルサレム教会で起こった問題に対してクリスチャンたちはこのように対応しました。①教会員全員が集まり、問題を知り、理解し、教会は透明性と公平性を保ちました。②皆で問題の解決に当たりました。その時に自分の役割を考えました。③ギリシャ語部のクリスチャンたちはこの問題解決のために7人の信仰と御霊に満ちた人を選びました。その上で、彼らを神様に委ねました。④使徒たちは自分に委ねられた使命、みことばと祈りに専念したのです。

その結果はどうなったでしょうか?

  • 神のことばはますます広まったのです。キリスト教が拡大したと言うのではなく、「神のことばが広まっていった」と書かれていることに注目してください。多くの人が教会に集まったのですが、彼らの関心は「神のことば」聖書のことば、福音であったのです。多くの人が教会に集まっていても、その人びとが「神のことば」を知らず、聖書の教えに従って生きていなければ「神のことば」は広がりません。
  • 「エルサレムで弟子の数が非常に増えて行った。」ここでは「信者」と言われずに「弟子」と言われていることに注目してください。イエス様はヨハネによる福音書15章でイエス様がぶどうの木、私たちがその枝です、と教えられ、8節に「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、私の父は栄光をお受けになります。」と言われました。エルサレム教会にはキリストの実を結ぶ枝、弟子たちが非常に増えて行ったのです。
  • 更に素晴らしいことに、今まで福音に反対していた祭司たちが大勢次々と信仰に入った、のです。

上水めぐみキリスト教会は現在20名の会員がいます。12使徒の1.7倍います。私たちが心を一つにして、祈り、神のことばに生き、神のことばを宣べ伝えて行くならば、エルサレムで起きたことと同じようなことを神様はなしてくださることでしょう。サタンの誘惑を退け、御霊と知恵に満たされてキリストの証人として神のことばを語っていきましょう。お祈りします。

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